呉~松山~しまなみ海道~尾道旅行(3)2014年05月06日 09時26分34秒

さて、大和の写真は少し置いといて、他の展示を。

これちらは零式戦闘機と回天一型。ここにある展示は基本的には全て本物である。海底などから引き上げられたものを復元している。戦争やそのための道具を美化してはいけないが、これだけのものを作ることができた技術が戦後ほとんど放棄させられたことは惜しいとも思える。まあ、その技術の幾つかが他の方面に生かされ戦後ニッポンの復活の原動力になったのも確かであるが。新幹線とか。


ここの展示も上から見ることができる。
コックピット内まで再現されている。
技術はともかく、特攻など、(特に若い)命を犠牲にしなければ勝てない、もしくは防げないと思った時点でもはやその戦いは負けている。戦争を進めたクソ老人どもが生き残り、未来の日本を背負う若者の命が多く失われたのだから、日本の失った物は非常に大きかった。クソ老人どもは戦後多くが粛清されはしたが、失われたものを贖えるはずもなく、また、それは連合国に対する罪によるもので、日本国民に対する罪としてではない。「日本は負けねばならなかった」とは思うが、代償としてはあまりに大きい。二度と愚かな戦争はしてはいけない。

一方で、ここは空襲の多かった呉であり、広島のそばだから書かねばなるまいが、アメリカの成した罪もまた断罪されなければならない。空襲、特に日本の木造家屋を狙い撃ちした焼夷弾、原爆で失われた命は一体どれほどあるか。第二次大戦でアメリカが殺した人数、その残虐さナチスや日本とどれほどの差があるか。勝ったからといって無罪放免なのはおかしい。未だ原爆を肯定しているアメリカ人がいることがおぞましい。アメリカの罪を糾弾する展示、いや、今さら一国を責めても仕方ないし、どうせ奴らはそんなもの見ても一切反省しないのだから無駄だが、戦争の愚かしさ、そこにおける狂気の沙汰、そこに至らないための知恵をまとめた展示も必要なのではないかと、思うのであった。

今日は真面目。
合掌。
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