祇園祭2015(14) ― 2015年08月16日 06時20分41秒
黒主山。
桜が見事だけど、見事すぎてご神体が影に隠れて見えにくい。
浄妙山。
飛んでいるご神体は棒1本で支えている感じ。
後ろの柳は生木だね。
この辺りから人が立ち上がり始めて、この通りの状況。こういう連中は周りのことは一切考えないから、極めて撮影しにくくなる。お目当ては最後のコレ。
最後は大船鉾。
最後は大船鉾。
去年は150年ぶりの巡行ですごい人気?だったけど、今年も続いている感じ。なので立ち上がってまで撮影している連中が多かったと。そのせいで画角に自由が効かなくて、後頭部が映ることも多かった。来年は小さな台でも持って来るべきかなぁ。
この人気、いつまで続くのだろう。
この後花傘巡行も続くのだけど、今年はここで帰った。あれは一度見たらいい。
ということで、後祭の巡行であった。
去年は曇りで風もあって比較的楽だったような気がしたけど、今年は炎天であった。街路樹の影に入ってたので良かったけど、そうでないなら、後祭くらいの基数がちょうど、というか耐えられる限界なのじゃないかと思う。
ぎっくり腰の直前だったけど、見ている間にならないでよかった。なったら100%救急車のお世話になるはハメになるからなぁ。みなさんも腰にはご注意を。
ということで、後祭の巡行であった。
去年は曇りで風もあって比較的楽だったような気がしたけど、今年は炎天であった。街路樹の影に入ってたので良かったけど、そうでないなら、後祭くらいの基数がちょうど、というか耐えられる限界なのじゃないかと思う。
ぎっくり腰の直前だったけど、見ている間にならないでよかった。なったら100%救急車のお世話になるはハメになるからなぁ。みなさんも腰にはご注意を。
超珍しい写真見せてやる!(その16) ― 2015年08月16日 06時52分40秒
今度は正真正銘に珍しいもの。
週刊朝日だけど、なんと昭和7年10月に発行されたもの。田舎にあった荷物の中から発掘した。
表紙はカラーだけど、これが写真なのか写真絵なのかわからない。写真だとしても相当修正はされていると思うけど。目がちょっと行っちゃってる気がするのは私だけ?(^_^;)文字が右から左へ書かれているのとか、定価12銭というのが当時らしい。
記事を読むとさらに当時の世相が分かる。今となっては歴史上の出来事でしかない5・15事件が、当時は発生した直後のこととして論説されている(5・15事件は昭和7年)。
記事を読むとさらに当時の世相が分かる。今となっては歴史上の出来事でしかない5・15事件が、当時は発生した直後のこととして論説されている(5・15事件は昭和7年)。
赤線を引いた部分は要注目点。
広告も面白い。「誰にでもできる美味しい食用茸の栽培」とな。なんか怪しい(^_^;)。昔は週刊朝日でもこんなのが掲載されていたのか。
広告も面白い。「誰にでもできる美味しい食用茸の栽培」とな。なんか怪しい(^_^;)。昔は週刊朝日でもこんなのが掲載されていたのか。
投稿者の住所に「樺太」とあるのが当時である。
京都五山送り火2015(日中編) ― 2015年08月16日 11時06分09秒
今日、京都は夜に五山の送り火がある。
地元では、この日は、午前中に(右)大文字山に上る風習がある。ということで、朝7時過ぎから行ってきた。
まさしく老若男女、外人さんも含め多くの人が登っている。しかし外人さんよう、いくらそれほど高い山ではないとはいえ、サンダルで来たらあかんわ。怪我しても自己責任でっせ。
それはともかく、大文字の場所から京都市内北部を望んだ写真。「五山」-1が写っている。
地元では、この日は、午前中に(右)大文字山に上る風習がある。ということで、朝7時過ぎから行ってきた。
まさしく老若男女、外人さんも含め多くの人が登っている。しかし外人さんよう、いくらそれほど高い山ではないとはいえ、サンダルで来たらあかんわ。怪我しても自己責任でっせ。
それはともかく、大文字の場所から京都市内北部を望んだ写真。「五山」-1が写っている。
赤字が五山-1、紫はその他の有名な場所。京都盆地の中に見える緑地は、ほとんどが名のある神社・仏閣や史跡である。
まず足元が右大文字。そして左へ「妙」と「法」。
舟型は右大文字から一番遠いので10倍望遠でも霞んでいる。倍率のせいではなく、今日は市内がちょっと霞んでいるから。
左大文字はちょっとわかりにくい。
更に左にあるはずの鳥居は残念ながら見えなかった。ほぼ真横になるからだろう。
夜にここから見るとさぞ絶景だろう。まあ、保存会以外は入れないんだけど。
ということは続きは夜編で。
ということは続きは夜編で。
京都五山送り火2015(夜編) ― 2015年08月16日 20時48分35秒
そして夜には送り火が催された。
右大文字。点火直後くらい。
中盤。
20分位経過してもうだいぶ終わりかけ。
この頃から雨が降り始めて、家に帰る途中にはだいぶ降ってきた。夕方にはだいぶ雨が振って、その後もポツポツと少し降り続いていたようなので、ちょうど合間に送れたということになる。
お盆の間お帰り下さったご先祖様をこれで無事に送ることが出来たのだろう。
でも、前から気になっているのだけど、太陰暦を使っている昔はお盆もその暦に合わせて、今の9月はお彼岸頃に行われていたはず。それを新暦になった時に日付だけ同じ時期にしているけど、それは人間界というか此岸の都合であって、あの世=彼岸の世界に通用するのかどうか。だから、人間が新暦のお盆にせっせと迎え火・送り火してもああの世には届いてないんじゃないか、そんな気がするんだけど、どうだろう。これはお盆だけでなく歴史的に決まった日付の催事は全てそうだと思うのだけど。
お盆の間お帰り下さったご先祖様をこれで無事に送ることが出来たのだろう。
でも、前から気になっているのだけど、太陰暦を使っている昔はお盆もその暦に合わせて、今の9月はお彼岸頃に行われていたはず。それを新暦になった時に日付だけ同じ時期にしているけど、それは人間界というか此岸の都合であって、あの世=彼岸の世界に通用するのかどうか。だから、人間が新暦のお盆にせっせと迎え火・送り火してもああの世には届いてないんじゃないか、そんな気がするんだけど、どうだろう。これはお盆だけでなく歴史的に決まった日付の催事は全てそうだと思うのだけど。
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