今は亡き鉄道(5)2020年07月01日 06時44分34秒

大糸線の写真が他にも出てきた。
2006年撮影。

ほんでもってこちらは2007年撮影。開通50周年。


実はこういう2両編成だった。
大糸線はいろんな塗装があったのね。

路線は単線。

糸魚川駅でサンダーバードと並ぶ姿。
大糸線は今もJRだけど、本線の方は新幹線開業とともにえちごトキめき鉄道になってしまって特急が全廃されたから二度とありえない光景。新幹線開業は時間短縮にはなるけど、鉄道旅としての面白さは減る。時代の流れだからやむを得ないけど残念。

今は亡き鉄道(6)2020年07月03日 06時24分45秒

糸魚川駅で大糸線から北陸本線への乗り換えで待っている時、トワイライトエクスプレスが通り過ぎていった。
この後トワイライトエクスプレスは廃止になったので、後にも先にも、トワイライトエクスプレスを撮影できたのはこの1回のみとなった。予約率が高く値段も高かったので無理だったけど、一度は乗ってみたかったかな。

事前に知っていれば準備もしておけたものを、いきなりだったのであまりうまく撮れなかったけど、なんとか数枚写せた。
当時のカメラはNikon D50で連射がないのでこれが限界。

糸魚川駅にはディーゼル機関車の車庫がある。
昔は蒸気機関車を格納していたんじゃないのかな、という感じ。冬場の雪よけじゃないかな。

糸魚川を通過する681系。サンダーバードじゃなくてはくたかのJR車両かな。新潟行き雷鳥にサンダーバード車両はないし。

こっちは停車するはくたか;ほくほく線車両。

で、これに乗って帰った。
北陸本線は特急は昔はいろんな特急があって面白い路線だったのだけど、今は金沢以東直江津というか上越妙高までが全廃されたので寂しい路線になってしまった。古き良き思い出。

今はもうこれもないんよね。JRでは。

今は亡き鉄道(7)2020年07月05日 06時27分19秒

スーパー雷鳥。
サンダーバードが走るようになって、最速の富山行きがサンダーバード、早い金沢行きがスーパー雷鳥、その他が雷鳥になったような。

先頭車は485系の改修車。でもプレートは国鉄時代のままだったけど。

先頭車は、展望車ではないけど広い窓で前がよく見えるようになっていた。
もっとも、乗ったときは夜間だったので景色は余り見えなかったけど。確か、先に紹介の糸魚川からの北越の次に乗り継いだんだと思う。行きは富山乗り継ぎのほうが良いのだけど帰りは逆に金沢乗り継ぎのほうが安くなったから。

最近はあまり残ってないと思うけど、JR西日本では先頭車だけ改修した特急がいくつか走っていた。これは381系くろしおの改修車。
スーパーくろしおかな。スーパーが付くものは京都発だった。

側面にはパンダのイラストが。
白浜アドベンチャーワールドだったっけ、あそこも今は賑わっていると言うかもう開園して40年は経つ老舗だけど、開業したての頃は人も少なくていつ閉園するかわからないという感じだった。開園早々に行ってイルカショーを見たのが思い出。

一方こちらはオリジナルボンネット型485系。臨時新潟発の雷鳥。ヘッドマークすらなくて臨時になってる。
ここまでオリジナルの車両の写真は私も殆ど持ってない。2005年当時、もう貴重な車両だったのだろう。

あまりに臨時過ぎて、
なんと手書きだし、
行先表示に至っては
ってな状況だった。貴重な上にも貴重な写真?

国鉄色特急も過去の思い出。

今は亡き鉄道(8)2020年07月07日 06時03分20秒

JR富山駅。これも今はない。

越中八尾行き。風の盆で有名な場所。
そのときには非常に混むのだけど、平時はがらがら。

「しらさぎ」。米原・名古屋~富山間を走っていた。
3+5両編成のように見える。
今も列車自体は残っているけど金沢までに短縮されている。

それに並ぶ北越号。

それに並ぶサンダーバード号。
こういった光景も今はもう見られない。というか、北陸本線系では複数の特急が並ぶ姿はもう見られないのかも。あっ、金沢ではあり得るか。

「ホリデーライナー金沢」。金沢~富山間で走っていた。
もちろん今はない。この区間はあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道という2会社に分かれてしまったため、直接の代替列車もないようだ。金沢と富山の間って一体な気もするから、合わせればよかったのに。なんで利用者のこと考えずに利権で県別に分割なんぞするかなぁ。何でも新幹線至上主義はやめるべきだと思うのだが。えちごトキめき鉄道も合わせてこの区間で特急を走らせるとか、自由競争すれば良いのに。

今は亡き鉄道(9)2020年07月09日 05時57分33秒

直江津駅での駅弁内。
今もやっているのかなぁ。北陸沿線は米と魚が美味しいところなので、駅弁も美味しいのが多かった。駅弁そのものが数が減ってきている昨今だが、この地方のものはぜひ生き残ってほしい。
そうそう、奥に見える車両はほくほく線のものね。普通車両を写した写真はこれ1枚しかない。偶然の撮影。

ここで買ったのはこれ。

おいしそう。

ついでに北陸・信越本線で買えた駅弁をいくつか紹介。
越後湯沢・石打駅と書いてあるけど、私はそこには行ったことはないので本線上でも買えたはず。

これは以前紹介した峠の釜めしの包み紙。

敦賀駅のかにすし。

富山の「源」は「ますの寿司」で有名なお店。

でも、他にも色々と売っている。この「ぶりのすし」はマスの代わりにブリと株を入れたものといえば見た目はあっっているが、味の方向性はだいぶ違う。

普通の駅弁も売っている。

どれも皆美味しかった。今はもう列車に殆ど乗らないから買う機会もない。駅弁のためだけじゃなく、富山は行きたいんだけどね。

これらに比べ、都会の駅弁は値段は高い上に美味しくないので最近は殆ど姿を消したのではなかろうか。京都駅の萩の家なんてその最たるものだったが。今、駅弁のないところで弁当が必要ならコンビニ弁当。旅情的には味も素っ気もないけどね。駅前もしくは駅ナカのコンビニなら、ご当地弁当作って欲しいと思ったり。

今は亡き鉄道(10)2020年07月10日 10時12分27秒

中央線関係の車両をいくつか。
これはミニエコーという車両。
ローカル線用の電車だそうな。塩尻駅で撮影したのだと思う。今はもうない。

E257系のあずさ。
現在あずさは別系統の車両に変わっているはずなのでこれも今はない。

383系しなの。
撮影場所は覚えてないのだけど、大阪駅か、もしくは大阪行のはず。383系しなの自体は今もあるけど、大阪発着は廃止された。たしかに、名古屋~大阪間は新幹線に乗ったほうが圧倒的に早いからねぇ。京都までの途中停車駅で降りるなら別だけど。

おまけ。大糸線南小谷~糸魚川間の風景。
手前のブレが疾走感を醸し出している。これで円形がもっとピントが合ってれば言うこと無し。田んぼの中を走る単線非電化、まっすぐの線路。いいねぇ。

今は亡き鉄道(11)2020年07月13日 06時29分00秒

今度は超古い写真を。
JR東海道線の京都~高槻間にある山崎駅は、特急列車の通過が多く、線路幅が広くカーブになっているため列車がきれいに撮影出来るスポットとして地元では有名な場所だ。
今はもうその特急自体が減ってしまったが、昔は半日居れば特急、急行が何十本と撮影できた。

ボンネット雷鳥。485系かな。側面のJNRが懐かしい。
小学生の頃はこの横のマークがJNRの記号化したものだなんて知らなくて、逆向きに書いてたなぁ。

583系雷鳥。
583系というのは昼夜兼用の特急車両で、昼は座席、夜は寝台車になった。現在はこれの後継車両はないはず。一度だけ乗ったことがあるような気もするけど、少なくとも新潟に行く北越では使われてなかったので記憶にない。いや、後に急行きたぐにで使われてたと思うから、それで乗ったかも。

こちらはショートノーズ型485系。

これを撮影したのはまだ小学生の頃で、当時は時刻表を見て通過列車を確認するなどということを知らなかったので、特急は毎時走っている雷鳥しか撮影できなかった。当時この間を走っていた特急・急行は北陸本線系だけでも他に北越、白鳥、つるぎ、越後、きたぐに、ゆのくに、他に東海道系の寝台列車他本当に多数あったのに。残念なことよ。

今は亡き鉄道(12)2020年07月15日 06時12分42秒

同じく山崎駅、正確にはその手前にある踏切から写真の続き。
そうそう、時期を書くの忘れてたけど、今から45年ほども前になる。

これは急行ゆのくに。
大阪~金沢間を走る急行だったようだ。乗ったことはない。昔は北陸線だけでも多数の急行が走っていたもんだ。乗ったことがあるのは「越後」「きたぐに」「赤倉」。しかし今は日本全国探しても1本もない。社会人は特急、学生は急行、というようなイメージがあったけどね。

新快速。今は山陽本線は網干あたりから東海道線の米原あたりまでを走っているが、登場時はたしか京都~大阪間だけだったと思う。並走する阪急の特急に対応するための列車で、大阪~京都をノンストップ30分は、当時としては驚異的だった。
デカデカとした新快速のヘッドマークが誇らしげ。最初は新大阪すら停まらなかったんじゃないかなぁ。

103系通勤電車。
関西は車両保ちが良いのでつい最近まで大阪環状線には残っていたような。今でもどこかにあると思う。

いわゆる湘南色の車両。各駅停車か快速か。

優等でない列車も色とりどりで見目に楽しい時代だった。鋼鉄車両をサビを防ぐために塗装が必須だったけど、ステンレス車体ではそもそも錆びにくいし、ペンキも結構重いからこの省エネ時代には塗られないのだろう。でも、今の車両は味気ない。

価値がわからない2020年07月17日 10時09分34秒

現在新潟にて療養中。
で、田舎の家を片付けているといろいろ出てきた。
詳しくはそのうち書くであろう「新潟2020」に譲るとして、一部先行公開。

この本。

どうも明治時代の漢字辞典みたい。こんなの古本屋に売りに行ったら値が付くのだろうか。保存状態はまあいい。破れているページもなさそうだし。
国立国会図書館のデジタルコレクションとやらにもあるみたい。全く同じものかどうかはわからないけど。

書籍はかなり出てきた。明治・大正時代のものがほとんど。ただ、状態のばらつきがひどくて、ほぼ無傷のものもあれば触っただけで崩壊してしまったものもある。まだ写真も撮ってないので、そのうち撮影して紹介するかも。
・・・さらに細かく調べると、とうとう江戸時代の書籍まで出てきた。慶應を最初に見つけ、一番古いのは文久とある。明治は教科書が大量に出てきた。さて価値は如何程。

背景の皿?何だろうねぇ?(^_^;)パチもんか本物かわからないし、そもそも何焼きなのか私にはわからない。

こんなものに需要があるのだろうか2020年07月18日 11時30分37秒

田舎の家は昔店をやっていたので、メーカーから送られてきた販促物があったりする。殆どは経年劣化でボロボロだけど、今回の発掘ではこんなものが見つかった。

狭い場所で撮影したので変形しているのはご勘弁。

これは戦時中のものだろうか。戦後も使ってたらいかんよなぁ。

ノーシンは意外に古い。

強力わかもと。
栄の字が旧字なのでかなり古いものなのでは。

日立のランプ。
そういえば、日立のマークはいつ変わったんだろう。昔はこのマークだったんだけど。日立をそのままデザイン化したわかりやすいマーク。

以上は今でもある有名どころだけど、こんなのもあった。
家で染め物をするという需要があったということか。

この他にもノーシンの他のデザイン、養命酒、森永乳業(の前進)のとか何種類かあった。新しくても昭和50年より前のものなのは確実。でも保存状態は極めて良い。ごく一部を除いて虫食いもない。というか、袋に入ったまま未使用のものもある。

普通に考えれば捨てるものだろうけど、世の中古い看板を集めている人がいるからこんな幟でも集めている人がいるかも知れない。オークションに出してみるか?

(C)おたくら編集局