大東亜戦争関係2020年07月19日 07時53分19秒

うちの家は多分現在の位置に江戸時代からあり、その昔は街の顔役なんぞもやっていたようなので、大東亜戦争時代にはいろいろな役を仰せつかっていたようである;ということが以下のようなものを発掘したことでわかった。

あと、各国の飛行機の形を書いた本とか(影で飛行機を判別するため)もあった。
戦争自体は反対だけど、戦争時代の資料を集めるのは戦時とはどういうものかを理解するに必要なのだと思う。前にも書いた、新聞のスクラップもいずれ機会があればスキャンしてまとめてみたいかと。数百枚あるし、保存状態が良くないので大変だけど。それが仕事になればいいのだけどなぁ。



江戸の書物2020年07月26日 10時08分16秒

しばらく更新ができなかったのは、持って行ってたモバイルWiFiが、月の無料利用可能容量ぎりぎりになってしまったから。高速WiFi網でつながれば容量制限などないのだけど、椎谷は携帯電話網でしかつながらない。ちなみに京都市内ど真ん中にも関わらず、うちの家もそうである。モバイルWiFiはまともに使えない場所もあるので、契約しようという人は、物が来たらまず自分の家でちゃんと繋がるかを確認しなければならない。業者のサイトに有る高速WiFiサービル網という地図は存外嘘というかピンポイントの抜けは書かれていないので。だめなら無料解約できるのでしたほうがいい。私は椎谷でつながることを確認できるまでに時間がかかりすぎてその期間を過ぎてしまった。多分来年までには解約すると思うけどね。

・・・

今回の新潟行きでは蔵の中を徹底調査して江戸の書籍を見つけたのは前にも書いたが、その後大変な発見もあって、お寺さん経由で近日博物館の人に鑑定してもらう運びとなった。少なくとも椎谷の歴史の1ページを埋める大発見で、ひょっとするとどこかの博物館に展示されることになるかもしれない。寄贈者に私の名前が出ればいいな(^_^)。

その資料についてはまた後日紹介するとして、見つかった江戸の書籍の一部を紹介。

これは論語の本。


どうもうちのご先祖の名前は論語から取られているものもあるようで、そのためにあったのかもしれない。

こちらは内容はわからない。
たぶん「1862年 文久2年 壬戌」ではないかと思う。書籍の保存状態は物によってバラバラ。これはまだページを開くことが出来たが、中には触っただけで崩れたものもあった。そういうものは残念ながら廃棄した。

内容は・・・読めない。
左のページに有る顔は落書きだろうか。書き込みのある本も結構見られた。

そしてこれ。これ以降のページはアップすることが出来ない。この「はしがき」だけで内容がわかった人はかなりなもの。まあ、発行者の名前を見れば想像はつくかもしれないけど。
実はこれ、江戸の春画本。もろ描かれているので結構きわもの。当時はモザイクなどないのだ。

今回の発掘では江戸・明治・大正・昭和戦前の書籍、さらには武家や幕府や明治の政府機関との間にかわされた書状も本当に大量に見つかった。私は以前少しだけ古い書物を読んだことがあって、ごく一部は読めたんだけど、やっぱり殆どはだめ。最近はAIで読んでいくものもあると聞くので、Webで公開しているなら読ませてみたいなぁ。

今は亡き鉄道(13)2020年07月27日 06時38分51秒

実はまだ続くこのシリーズ。
今度は小学生高学年くらいのときの新潟行きのさなかに撮った写真から。列車の中からなので写りが悪いのはご勘弁。

これはどこかの駅で見かけた485系の特急。列車名はわからない。
4番線に特急が停まること、「?山そば」というのが場所特定の手がかりになるか。

同じ駅で撮ったと思われるもう1枚。
こちらは583系「しらさぎ」だから、富山駅?もちろん今のじゃなくて前の駅舎。

どこかの駅で見かけた「しらさぎ」。
後ろに引き込み線が見えるので、そういう構造を持った駅。

これは多分別の場所で撮った特急や急行。
向日町車両基地ではないかと思われる。上の「しらさぎ」の背景も似てるけど、「しらさぎ」はここには来ないから別のはず。

これまた別の場所で撮った湘南電車。オリジナルだね、これが。

古い古い電気機関車。前後にデッキがあるタイプかも知れない。
EF56とかEF57とか、それに連なる形状。

ラッセル車。
ということは雪が多い地域での撮影。糸魚川あたりかも。

最後は古い貨物車両。
コンテナ全盛の今の時代にはもう存在しない車両かも。何用だろうねぇ。

当時のフイルムカメラで撮影したネガからのスキャンなのでこの程度の解像度が限界。フイルム自体劣化してるからね。

日置流2020年07月28日 05時40分58秒

今回の発掘で出てきた書面の1つ。
日置流」と書いて「へきりゅう」と読む。和弓の一流派。いろいろな派に分かれているらしいが、この書面がどれに当たるかはわからない。
上から4文字目の漢字が読めない。「暇」(ひま)に似てるんだけど、部首が「日」じゃなくて「目」だし、仮に「ひま」だとしても「暇名」という単語がない。現代では使われない漢字なのかもしれない。
「巻上」というのは「上下巻の内の上巻」という意味ではない。現代には使われない言葉なのか国語辞典に載ってない。古語辞典にもないので一般的用語ではないのかもしれないが、他の書物でも書かれているので、当時は使われていたことは間違いない。おそらくは「もともとは巻物であった」という意味ではなかろうかと思う。

内容はこのページから始まる。
最初は茶道か何かかと思ったけど、ここに「射手」とあるので弓だと想像できた。細かいところは私には読めないけど。

一番最後のところ。65か条あるということと、書かれた日付が書かれている。
最初に書かれたのが寛永19年(1642年)で、最後の署名が嘉永5年(1852年)とあるから、実に200年間は継がれてきたことになる。この書面自体は最後に摸されたものだろう。「在判」というのは、「原文ではここに花押が書かれている」という意味らしい。そこからも、この書面が写しであることがわかる。最後は花押でなく印になっている。

実はこの書面にはもう1つ対になったものがあった。それがこれ。

射し方を歌にしてみた、ということだろうか。

これには過去の日付がなくこの1つだけだったので、最後に写した人が内容から作ったものかもしれない。「歌で覚えよう」という感じか。

この流派の研究をしている人には喉から手が出るほどほしい資料・・・になるのかな?表紙を見ればわかると思うけど、虫食いは多少あるけど、保存状態は極めていいと思う。全ページ開けられるから。おいおい読んでいこうかと。

相阿弥流2020年07月29日 05時19分29秒

今度は「相阿弥流」。これが何であるかは、次のページを見たらすぐわかった。

生花の流派だ。現在も存在するみたい。
「秘歌」とあるので、門外不出だったのかもしれない。これも私には読めない。一種の暗号文よね。

文章の最後に、書いたと思われる人の署名と花押があった。読めないけど。

その後のページには代表作であろうか、絵図が並んでいた。


裏表紙には署名もあった。
これを持っていた人の名前だろうか。
うちの母方のご先祖様は椎谷藩の家老だったらしいので、弓はもちろん華道も覚えておかなければならないことだったのかもしれない。茶道の書面は見つからなかったけど。戦車道?ありませんて(^_^;)

今は亡き鉄道(14)2020年07月30日 06時24分37秒

昭和晩年から平成に入ってからの国鉄型車両での特急色々。

これは、東京周りで新潟に行った時に上野駅で見たと思われる「とき」と「そよかぜ」。
国鉄時代の写真だけど、解像度はかなりいい。プリントされたもののスキャン(角が丸いのはそのせい)。まだ上越新幹線が走ってない時代。「そよかぜ」というのは軽井沢までの間を走ってた臨時特急のようだ。この車両ではあまり長く走ってなかったようなので貴重な1枚かも。「とき」は上野~新潟間をはしる特急だったけど、L特急といって1時間1日本走るものだった。今はもうこの種別は存在しない。

今度は大阪駅で並ぶ「雷鳥」と「しなの」。
似ているけど、雷鳥は485系、しなのは381系振り子式。どちらもL特急だった。これはJRになった後だろうか。JNRのマークが見えない。今しなのは大阪駅には乗り入れないので車両が違ってもこの光景は見られない。

柏崎駅での485系北越。1991年か。
柏崎駅もとんとご無沙汰している。次回の新潟行きを列車にするかレンタカーにするか思案中だけど、列車なら久しぶりに行くかも。

所変わって野尻湖か白樺湖を見に行った時に撮影したと思う「あさま」。
今は北陸新幹線の列車名だけど、当時は上野~直江津間を走ってた特急。たしかここから新潟に行ったのだと思う。それで上の写真につながる。GWに一人旅で行ったんだったかな。

同じ旅行で諏訪湖を見た後の駅で撮影した「あずさ」。
塩尻駅だろうか。

当時はこの形の特急が全盛だったのね。

今は亡き鉄道(15)2020年07月31日 05時35分04秒

九州方面特集で。
これはかつて高千穂~延岡間に存在した高千穂鉄道の車両。
高千穂から乗って延岡まで行った。50キロもあったのね。しかし、2005年の暴風雨で路線が破壊され、そのまま廃止となってしまった。もう一度乗りたいと思っていただけに残念。今私が持っている写真はこの1枚だけ。当時はフイルムカメラだったので撮影をケチったのね。今なら延岡までの間に100枚は撮影しただろうに(^_^;)。

こちらは南阿蘇鉄道の車両。
立野~高森間を走っていた。が、熊本地震で被害を受け、現在は途中の中松~高森間のみ運行しているらしい。当時の日本一長い駅名とかがあったのだが。

上は「りんどう」号、こちらは「おおるり」号。形状からして、いわゆるレールバスかもしれない。
たしかJRで立野まで行って、そこで乗り継いだ。当時の日記を見ると、「そうそう、このあたりの列車では観光ポイントでは減速してアナウンスしてくれる。この列車では観光地図までくれた。この南阿蘇鉄道でも立野から出たすぐの所に眺めが良い所がある。何となく富山の黒部峡谷鉄道の景色を思い出した。」と書いていた。今はその区間が運休なのは残念だ。こちらは廃止にはなっていないので、復旧することを祈る。

順番から言うと、高森からバスで高千穂に行った(50キロも走るけど普通のバス)。そこから高千穂鉄道で延岡に出て、↓に乗って別府まで行った。
「RE」=RedExpressの略で、「にちりん」の485系タイプのことだった。今は485系での運行はないはず。

今の「にちりん」や「ソニック」は多くがこの車両で運行されていると思う。787系かな。
これは別の機会に柳ヶ浦駅で撮影したものだと思う。

おまけ。JR九州管内は(多分)交流電化されている。なので機関車も交流専用機が走っていて、このED76もそう。
JR九州の持ち物じゃなくてJR貨物のらしいけど。
(C)おたくら編集局