柏崎県・椎谷県2020年08月02日 06時32分21秒

今回の蔵発掘では母方のご先祖の江戸末期から明治初期にかけての書状が大量に発見された。なぜ母方のものがあるのかはわからない。蔵があったので保管していたのだろうか,、それとも母方の家に何かがあって避難したのだろうか。その中には椎谷藩の歴史をさらに明らかにする資料も数多くあった(と思う)。

例えばこれ。
「父(名前)家督 相違無いことを下賜候事」ということで、ご先祖が父親から家督を相続することを許された書面だと思う。

ここを見ると新潟の廃藩置県の経緯などがわかるが、廃藩置県は1871年1年の間に2回行われている。一度目は7/14(旧暦)に椎谷藩が椎谷県になっただけで、2回目の12/7には柏崎県に合併されている。1876年には新潟県に合併されているので、椎谷県があったのはたった5ヶ月間、柏崎県でも5年間ほどしかない。なので、この柏崎県からのこの書状は結構珍しいものと言えよう。ちなみに、柏崎県庁は今の柏崎市中心街ではなく椎谷の中にあったらしい。昔は椎谷が中心だったと言うこと。石碑があるらしいので、今度行ったときに確認しよう。

これを発見したときには廃藩置県という歴史の1ページを垣間見た気がして驚いたというか喜んだ。これで椎谷県のがあればよかったのだが、残念ながら単独の書面としては見つけられなかった。ただし、椎谷藩の歴史を調べた資料の中に名前はあった。
この資料は大正2年に椎谷藩に関する調査結果を関係者に聴取してまとめたもの。これを読めば藩主を中心とした歴史がわかるのだけど、それに関しては別の機会に。
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