曾祖父母2020年08月15日 05時57分08秒

今回の蔵発掘では本当に色々なものが大量に出てきた。それを数で大別すると、「書状」「書籍」「手紙」「写真」「絵葉書」「レコード」「着物」が中心であった。すでにいくつか紹介している。

写真は明治から昭和年間までに渡ってのものが出てきたのだけど、明治の写真は人物が大半。当時のカメラの性能(大きさ、露光速度)では屋外での撮影は大変だったからかもしれない。

そんな中で見つけたこの写真。
写真館で撮影されたここに写るのは、私の父方の曾祖父母だと分かった。明治41年8月撮影で曾祖父22歳、曾祖母23歳、祖父3歳と裏面に書かれていた。

私は当然曾祖父とは面識がない。祖父も昭和50年に亡くなっているのでそれほど覚えているわけではない。しかし、こうして写真が残っていたおかげで、実に100年以上の時を超えて会うことが出来た。

親戚から家系図を作ってほしいと言われている。いやそれ、私に言うより父親に言っててほしかったと思った。私はご先祖に関してはほとんど何も聞かされていないので分からないから。しかし、こうして写真(と名前)とか書面上に名前が出てくると作りたくなった。3代くらい前(写真の人の父親くらいまで)しか遡れないけど。過去帳やお墓に掘られた名前も合わせて調査中。

この写真を撮影したのは、裏面の記述に依れば長野市にあった写真館のようだ。検索で調べてみても引っかからないので現在は存在しないと思われる。わざわざ新潟から長野まで行って撮影したのか。当時のうちは裕福だったらしいので金銭的には可能だったろうが、そもそもそこまでするのがすごい。他の写真の殆どは柏崎の写真館で撮影されていたので、何かの理由があってわざわざ行ったということになる。なんだろう?その写真館が全国的に有名だった?

「種板は永久保存するのでいつでも焼き増しできる」とも書いてある。当時は当然フイルムではなく乾板撮影で、乾板は持ち帰りではなく写真館で保存するのが一般的だったのだろう。今も写真館が残っていれば「今でも出来ます?」って聞いてみたかったんだけどね。

ということで、他の写真も徐々にスキャンして保存中。まあ、うちに関係するところだけだけど。あまりにも数が多いので全ては多分無理だから。他の人のは今でも子孫が住んでいれば渡してあげたいけど、分らないからなぁ(分った人のは次回持って行ってあげる予定)。椎谷に明治から住んでいた家系の人は一度ご連絡を。

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