写真乾板からのスキャン2020年08月31日 07時21分22秒

今回、新潟からは大量の写真乾板も発見された。歴史の教科書に徳川慶喜の写真が載ってたりするが、あの当時はガラス板に感光剤を塗った物に撮影していた。それが写真乾板だ。私も現物を見るのは初めて・・・ではないが、スキャンしてそれを再現するのは今回が初めてだ。

乾板のサイズは、一部例外もあるが殆どは12*8.5センチ位ある。現在もあるブローニーというものより1センチほど幅広い。うちのスキャナはブローニーまでは対応しているが乾板サイズには対応してないので1センチほど切れてしまう。乾板は今のフイルムにあるような送り用の穴がないので端っこまで撮影面なのでどこかを切る必要がある。1枚1枚上下どちらかまたは両方で切っていいところを探しながらのスキャンになる。

これは海辺で乗馬している写真。椎谷の浜ではなかろうか。
椎谷馬市のものかと思ったがそうではなさそうだ。
最初にこれを出したのは、これがちょっと特殊だから。撮影日が書き込まれているのだ。
フィルムカメラには日付を焼き込む機能があったけど、写真乾板にも日付が入っているものがある。どうやっているかといえば、ガラス板の上に文字を直接書き込んである。今のように油性のペンなどないと思うので、何かしらガラス乾板と親和性の良いインクがあったのだろう。手間がかかるか書き込まれているものは極めて少ない。この写真には明治39年6月21日と書いてある。これと同じ箱に入っていた乾板がその近辺で撮影されたことが特定できた。

これは椎谷観音堂の隣りにある香取神社ではないかと思う。
今とは社の向きが違い、鳥居もある。

社殿前で映されたと思われる人物写真。
板の汚れや感光剤の劣化による斑があるとはいえ、結構解像度高く写っている。当時の青年がいなせな感じなのもわかる。うちのご先祖も写っているのだろうか。

これはどこで撮影されたものかわからないが、椎谷集落の中かもしれない。当時の家の状況が見える。
瓦ではなく板を石で押さえているだけのような感じにも見える。瓦をはれるのは裕福な家だけだったのかもしれない。

上記の写真はまだ椎谷内という気がするが、他の写真はどこで撮影されたものか全くわからなかった。

乾板はこのような箱に入っていた。
イギリス製で、そのものずばり「DRY PLATE」と書いてある。「SPECIAL RAPID」なので、感光が速い=シャッタスピードが早く取れるものなのだろう。たしかに、馬なんぞ長時間露光では撮影不可だろう。箱には適切な露光時と過剰露光時における現像薬剤についても書かれている。うちの蔵の中には昔現像所があって自前で現像していたらしい。実は祖父は薬局をしていたのだが、もともとはこの写真用薬剤を扱うところから始まったのかも。

1箱には12枚入っている。それが別の大きな箱に最低でも50箱は入っていたと思うので600枚の乾板があることになる。今回は試しで1箱だけ持って帰ってきた。全部だとかなり重いので輸送にも注意が必要だ。1箱で355g、50箱だと実に17キロにもなる。今ならSDカード1枚に1000枚も撮影できるのだから、隔世の感がある。
乾板はガラス板なので取り扱いには注意が必要だ。さらに、先に書いたとおりどうしても一部切る必要があるので1枚1枚切る方向を決めてスキャンしなければならない。EPSONのX830という機種を使っているが、上位機種のX980なら切らずにスキャンできることがわかっている。しかし価格はX830の倍の6万円以上もする。この乾板スキャンだけでしか必要ない性能のためにそこまで出すのは難しい。誰か安く譲ってくれません?(^_^;)
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