2020新潟・白馬(19)2021年02月07日 08時04分49秒

10/3。
雨ではないのだが、なぜか1日家にいた模様。
ということで蔵の捜査。

前からずっと気になっているこの金庫。回し錠と鍵の2つからなっているようだ。しかしそのどちらもわからない。
周り鍵の部分が硬くて、とりあえず呉553を注入してみたが、それでどうにかなるものでもない。TVに頼んで開けてもらうかねぇ。この金庫の話をすると会う人みんなにそう言われる。

大きな岡持ちが2つあった。ところがその上に大きくて重たいものが置かれていたので開けることができなかった。人手を借りないと無理だと思っていたが、かなり頑張ってそれをのけて開けてみた。
まず出てきたのは新聞。
日付は昭和2年とか3年とかその辺りのものだ。
面白そうなのでじっくり読みたいところだが、読んでたら片付かないので後回し。

もう1つの箱を開けてみると大福帳とかそのほか紙類が大量に出てきた。水色の紙があったので拾い上げてみるとこれだった。
「地券」と書いてある。要するにどこそこの土地は誰のもの、という権利書だ。うちの江戸最後のご先祖の名前がたくさんあった。このあたりの土地をかなり持っていたようだ。他の人のもあったけど、なぜ?きれいに残っててももはや今となっては通用しないだろうけど。

大福帳みたいなものはあったけど、それは多すぎて省略するとしてそれ以外のものをいくつか。
これはうちの菩提寺でもある「華蔵院」さんが明治37年に屋根を改修をした時の普請帳らしい。紙がくっついててなかなか中が見られなかったのだけど、いついつどれだけの人足が来たとか、材料がいくらだとかというのが書いてあった。後ろには世話役の名前とか。お寺は江戸(以前)からあるらしいが、昭和初期にあった集落の大火で資料などは焼けてないのだそうな。だからこういうのは貴重かも。ところで、お寺の名前は今は「華蔵院」と書くが、ここには「花蔵院」とある。聞いてみると、今でも登録名は「花蔵院」だそうな。いったいいつから「華蔵院」になったのだろう。聞くの忘れた。

こちらはうちのご先祖の年忌供養の時の帳簿。明治27年。
前にも書いたけど、家系図を書いたので、戒名でもうちのご先祖なのか・いつの時代の人かわかるようになっていた。だから見逃さなかった。

こちらは別のご先祖の亡くなった時の香典帳。
明治11年寅9月19日だろうか。

こちらは何のものだったかわからないが、後ろの名前にご先祖の名前があったもの。
今は「柏崎市椎谷」だけど、昔は「刈羽郡椎谷町」だった。柏崎市も昔は刈羽郡柏崎町で、そのうち独立して市となり、椎谷はそこに吸収された。刈羽郡は今でも刈羽村として存続している。椎谷は位置的には刈羽郡に入ったほうがいいような気がするが、まあいろいろなことがあったのだろう。それはそうと「市場総代」。うちのご先祖さんがそれをやっていたということだ。大きな商家だったということはわかってきたが、地域では「長」を務めるような位置にあったようだ。今は見る影もない。

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