2020新潟・白馬(25)2021年02月14日 07時59分16秒

昨日、行こうと思って行けなかった「石地わさび園」に行くことにした。甘いものが食べたいという欲求もあったし、今日は明るい時間に自転車に乗っておきたいというのもあったし。

ここのシンボルだけど、なぜ金色の手?
と来るたびに思う。

わさびがわさわさ実っている。
いや、わさびは根っこを食べるのだから「実る」じゃないな。そういえば、「大根」とか根菜はどう言うんだっけ。そういえば、キャベツってわさびの親戚だって知ってるかい?よく噛んでいるとわさびに近い風味がある。今度やってみ。

こちらは収穫された後か何もない。パイプから水が出ている。
うちのプランターにもこれと同じ考えの散水機を作って置いたのだけど、出口ごとの水の量がばらばらでなかなかうまく水が出ないんだよね。どうすればいいのだろう?水圧?

ここには合鴨もいる。合鴨でいいよね?人に餌付けされているのか、人の姿を見ると、近づいてくる。かなり広い敷地の端からでも。ごめんなにも食べ物はないよ、君たちが食べられるものは。

2020新潟・白馬(26)2021年02月16日 07時28分05秒

わさびソフトと揚げまんじゅうを頼む。時間がかかるというので売店の奥の建屋を見学しつつ待つ。
あっ、プラレールがある。
今プラレールや鉄道模型のジオラマというか走らせる場所を設置するというのが流行っているらしい。家の中でこういうものを広げるには広い場所が必要だからね。常設の場所があって、そこに個人の模型を持ち込んで走らせる。これもそれの1つかな。うちの新潟の家でもそういうのを作れば儲かる、というか、暮らしていけるくらいにはなるかな。場所はあるんだけどなぁ。

その前にはなんか古いトラクターらしきものがあった。

「JOHN DEERE」というのはメーカー名だろうか。「ジョンディア」と読むらしい。
調べてみると、今でもあるアメリカのトラクターのメーカーのようだ。
日本ではヤンマーが扱っているようだ。一番高いものは、えぇっ一千万を超えるの!?トラクターって高いのね。

わさびアイスお待ちどう。
甘い中にもつんとした風味があって好き。300円くらいだったかな。

ちなみに月曜日が休館日。

2020新潟・白馬(27)2021年02月17日 07時41分42秒

蔵から発見されたもの続き。
古銭が出てきた。
上3枚は寛永通宝」だ。寛永13年(1636年)から作られ、幕末まであったそうな。長きにわたって作られたからか、同じ寛永通宝でも形が大きく違うものがある。Wikipediaには詳しく飽きてあるから、形から年代がわかるかもしれない。下3枚は別のものだけど、字がかすれててよく読めないものもある。要するに、状態はあまり良くない。このほか束になって見つかったものもあるのだけど、さびてボロボロで錘になる以外に価値がなさそうな感じ。

これは、藩札というものらしい。
幕府ではなく各藩が作っていたお金ということか。状態の良いものからそうでないものまである。くそ骨董屋もこれには手を付けなかったと見える。枚数はそこそこあった。

これは椎谷集落の簡易的な地図。
現物は1.5メートルくらいの長さがあり写真はその一部。「領分越後国刈羽郡椎谷海岸絵図 堀出雲守」と書いてあった。この写真には映ってないけど砲台などが書いてあり、幕末のものではないかという話だった。

・・・さて・・・

給湯器が壊れてお風呂は鍋にお湯を沸かして…というのをやっていたが、さすがに2週間それをするのは無理。ということで、調べて、Amazonで電熱器と保温に優れているという五右衛門風呂を買った。
五右衛門ぶろは組み立て式。子供用プールのように空気を入れるものではなく、骨があって、水を入れると立つ。

自らはいるのに適温;40度近くまでにするには6時間ほどかかるようなので、お昼ごろに電源を入れておくのが良いか。温度センサーが付いているので、ほっといたら沸騰する、ということはない。適温保持。

これらについてはちょいと書いておかなければならない。
まず電熱器。物はいい。ちょいと高いけどその分つくりはしっかりしているし温度も問題ない。ただ、漏電の可能性から、入るときには出しておく必要がある。取説にもちゃんと書いてある。
これ、実は頼んで発送されてくる日になっても来なかったのでなぜ?と思って調べたら送り先が京都になってた。風呂はこちらに来たのに。ヤマトに電話して転送してもらった。申し訳ない。実はこの後別のものも注文したら、また間違って京都に送って転送してもらう羽目に。2回も間違ったらいかんよなぁ。ということで、到着が予定より2日も遅れたけど、やっぱりあると便利。届くまでの間は鍋にお湯を沸かして、初日はそれをふろおけいっぱいになるまで繰り返したけど、2日目からは、鍋のお湯にタオルを浸して、それで体をふいてましたとさ。もう10月だからね。それでもなんとか行けた。真夏じゃダメだったろうけど。

で、風呂。「どこでもお風呂に入れる保温性の高い簡易風呂」というような触れ込みだったのだけど、実際のところ、保温性は蓋さえ閉めていれば風呂と変わりない性能を持っている。しかし、ふたは付いてない。風呂のを流用したのだけど、なら普通にふろおけ使えばいいじゃん、という話。実際翌日からはそうした。
これを使えばどこでも風呂に入れるかという点に関しては、「無理」と言わざるを得ない。なぜなら、水を入れるには水道がなくてはダメ。電熱器を使って沸かすなら電源が、お湯をいきなり入れるなら、給湯器が必要。出入りすればお湯がこぼれる。体を洗うならなおさら。ということで結局、野外では使いづらく普通の部屋なんてもってのほかで、どこに置くかといえば風呂場くらいしか思いつかない。なら普通のふろでいいじゃん、ということになる。ちょっと苦労して組み立てたけど、1回使っただけでしまい込んだ。無駄な出費であったことよ。

・・・

夕食はお好み焼きで。
もとは大阪人やからお好み焼きは当然作れまっせ。たこ焼きは苦手だけど。ちゅうか、あれは準備と焼くのに忙しくて一人ではやってられまへん。家には3枚ほどたこ焼き焼きプレートがあったけどね。

カレーが多くできているのでスープで食べる。
暖かい日も続くので、腐る前に食べきらないとね。

2020新潟・白馬(28)2021年02月21日 13時04分42秒

10/5。今日は雨。
しかもかなり降ってるので出かけることはできない。これは1日蔵探索か。

実は昨日の探索で、重要なものが見つかっていた。雛飾りやこいのぼりが見つかった入れ物の隣に非常に古いレジスターが見つかった。残念ながら写真は撮り忘れたが、電気など使わない完全機械式のものだ。

で、その引き出しを開けてみると、古いお札や硬貨とともにあの金庫のかぎが出てきた。しかも、その開け方を書いた紙もあった。実は開け方だけは実家捜索で出てきていたのだが、肝心のかぎがなくて開けられなかった。しかし今度は鍵もある。早速開けてみることにする。

ところがいくつか問題があった。鍵が束になっていること。これは、1本1本入れて合いそうなものを探した。1つはダイヤルが錆びているのか非常に回りにくいこと。最初に左右どちらかだったかに何回回すと書いてあるのだが、その回数回すのが非常に困難だった。呉556を使い、あと力任せに回したが、今度は回転の起点とわからない。さらに紙に書いてあるメモリと実際の目盛りの文字が違うのだ。「まさか別の金庫の開け方?」とも思ったが、他は一致しているので多分これ用なのだが。その違いとは「ヲ」と「オ」とかそういう感じの違い。何度も何度も回し、カギをひねっているうちに金庫が開いた。「やったー!」
空いた瞬間には飛び上がって喜んだ。いったい何が出てくるか。期待に胸を膨らますとはまさにこういうことだ。

金庫にはメーカー名が入っているが、同時に内側にはご先祖の名前が書いてあった。一応特注品なのだろう。

金庫の中には桐の引き出しが入っていた。

そろりそろりとそれを引き出してみる。果たしてその中にあったものとは?

2020新潟・白馬(29)2021年02月22日 07時55分08秒

中から出てきたのは金銀財宝…などは全くなく、ほぼ書面だけだった。4段の引き出しにぎっしり。
そのほとんどは貸付証。誰それにいくら貸した、担保は何というのが書かれている。うちの明治のご先祖は北前船で北海道岩内村や泊村とやり取りして益を上げていた大物商だとわかった。さらにそこで稼いだお金を貸し付けていたようだ。その証文だ。もちろんそんなものは今となっては全く価値がない。せいぜい、そこに貼られている収入印紙に価値があれば、という程度だ。おそらくは日本初の収入印紙もあった。

他に入っていた書面は、他人には全く価値がないと思われるが、うちのご先祖の動向を知ることや家系図を書くには極めて重要な書面群であった。

これは「分家届」。
現在の法制度には分家という制度はないと思われるが、当時はごく当たり前に行われたようだ。戸籍謄本上に書かれていた分家が、届け出証上も確認できた。この書面が残っているということは正副書いて1通を役所に、1通を自分で保管したのだろうか。

こっちは「離婚届」。
今は用意された用紙が存在するが、昔はこのように適当に理由を書いたのだ。理由は「家風に合わない」と書いてある。ほかの離婚状もあって、そこには「夫が不義を働いた」と書いてあった。浮気したということかもしれない。読んでると、面白いじゃないけど、まあいろいろわかる。

これは「年期證書」。
これも現在には存在しないが、いわゆる年季奉公に出すときに、その人の身元保証人になるというものだ。これは息子を出す時のものだったが、そんな場合でも親が保証人になってちゃんと出しているのだ。

これは土地のやり取りの証書だ。
それだけなら他にもたくさんあるのだが、これが目を引いたのはそこにある人物の名前。一番左の。灰野さんじゃないよ。そこにあった名前はうちのご先祖で江戸の最後から明治の初めの人。うちはお店をしていたた関係で屋号というものがあるのだが、その屋号「松平」(まつへい)の由来になったのがこの人なのだ。
最初この名前は過去帳で見たのだが、「まつだいら」って、江戸幕府の家老「松平家」とどんな関係があるのかと思ってたら全然違ってた。御先祖で俗名がわかっている人はこの人が最古。残念ながら写真はなかったけどね。

というような書面しか入ってなかった。本当にほぼ書面だけ。あとは空の財布とか。残念。

2/20御苑梅2021年02月23日 07時37分14秒

先の日曜日に御苑に梅を見に行った。

御苑の梅は、全体的にはだいぶばらつきがあって、早く咲き始めて桃色の梅(という書き方はちょっと変だけど)はすでに終わりかけ。今は白が中心に咲いている状況。

これは小川沿いの白梅。

梅林は、一部が5部くらいだけど、まだ全然咲いてない木も多い。
これは並んで立つ紅(というか桃色)白。

濃い紅色のはまだ咲いてないけど、薄めの紅は咲いてた。

梅という木は不思議な木で、枝の先ではなく幹からいきなり花が咲くことがある。
幹の上に花を置いたのではなく、ここで咲いている。おそらく進化の順でいうと古い:梅>桃>桜:新じゃないかと思うことがあるのだけど、どうかな。

人出はそこそこある。地元の人が中心だけど、観光的と思われる人もちらほら。はっきり書けば「今は遠くの人は来ないでね」。写真でお知らせするけん、今年はまだそれで我慢を。

「梅に鶯」ならぬ・・・2021年02月24日 06時46分28秒

で、梅を見ていたら、この子たちがやってきて花をついばみ始めた。
このキュートなおしりの子はだれ?

目白ちゃん。
可愛い。
持って行ってたα6000+標準レンズでは全然寄れなくて、もう1つ持ってた20倍コンパクトカメラで撮影。動き回るので難しかったが、何とかきれいに撮れた。

目白は花の蜜を吸うんだそうで。
まだ飛ぶ昆虫が少ないこの季節か彼らの独壇場かな。
しばらく撮影してから帰りましたとさ。

2020新潟・白馬(30)2021年02月25日 08時28分51秒

さて、金庫の中はそんな状況であったのだが、そういうものは解析(?)に時間がかかるので後回しにするとして、他の部分を探索する。なお、今日は例の蛇ちゃんはいなかった。

見つかったのは櫛と

かんざし。
かんざしの下にある棒は何だろう。
素材はべっ甲?べっこうってどんな感じか知らないから判断がつかない。文様は螺鈿づくりのような感じだけど、そんな高級なものじゃない。

こちらは、どうも結婚のときに使われたか送られたものみたい。
2つあった。

作りは細かいけど、素材は何だろう、プラスチックというかセルロイド?あんまり高い素材ではないような感じ。もっとも昔のセルロイドは今より高級品だったのかもしれないけど。
きれいなんだけど、使い道がないので、写真を撮った後元に戻した。そういう物も多数ある。

2020新潟・白馬(31)2021年02月26日 07時12分02秒

今度はこの書面。大正12年とある。ガリ版刷りだ。
学校から地元に対して児童の風紀や教育などに関する重大な案件が発生したので親御さんは全員来てほしいというような文面。

で、その時配られたと思う文面の1つがこれ。訓戒状。
もう1枚親御さんに配られたものもあったが要約すると、6年生のなにがしが他の地域の子供に差別的・暴力的行為を行ったので停学処分にするというもの。学業は優秀だったが素行に問題があったということか。改心を求め停学に処すとある。今は見て見ぬふりする教師も多いと聞くが、昔はちゃんと指導していたという証だろう。昔は、教育内容はいざ知らず、教育姿勢はまともだったのだ。

かわってこちらは「煙火目録」とあるけど、椎谷であった馬市に合わせて行われた花火大会の目録だ。
ご先祖の名前もあって、提供者になっていたようだ。今はこの馬市も花火大会もないけど、新潟県は今でも有名なものだけでも柏崎、長岡、小千谷等、花火が盛んなお土地柄である。昔は柏崎市内にも花火工場があったのだけど、昭和41年に爆発事故があってなくなってしまった。

これは地域で行われたらしい運動会の選手と組み合わせ表。
この運動会は少なくとも明治の昔から行われていて、その写真も出てきた。今もやっているのかどうかわからないけど、当時はかなり盛大だったようだ。

出てくる1つ1つの資料が写真と結びついて、地域の歴史のいろいろなことが見えてくる。

2020新潟・白馬(32)2021年02月27日 07時56分24秒

ほんでもってこれ。
「越佐新聞」(えっさしんぶん)。明治39年。
年中無休というのがおもしろい。

名前からわかるとおり、新潟や佐渡で発行された新聞。今はもう存在しないけど、「新潟日報」の前進みたい。
細かい文字だから読めるかどうかだけど、「将官の行賞」というのがあって、そこには「乃木希典」;乃木大将だよね?、東郷平八郎の名前も見える。明治39年といえば日露戦争の日本海海戦の功績で大勲位をもらっているからその時のものかもしれない。

裏面は全面に広告。
ここにも時代を感じらられる。13歳以上30歳くらいで5000名の工女募集って歴史の本で読んだあれだね。当然現代では募集することができない内容。有名どころではサッポロビールという名前が見える。ただ、会社としてのサッポロビールは昭和39年に出来たものなので、この当時はブランド名。

夕食は適当。こんなもので。

デザートは例のこれ。
ということでこの日も終わり。
(C)おたくら編集局