今は亡き鉄道(21)2020年09月03日 06時26分52秒

終わったと思ったらまた古い写真が出てきたので続き。

これは昭和51年頃の岐阜市内で見た路面電車。
名鉄岐阜市内線だろうか。だとすると、2005年に廃止されている。なんか細長い車両だなぁ。

変わってこちらは大阪駅に止まるEF58に牽かれた列車。
前に出したものとは違う車体。窓にひさしがある。寝台列車かな?

同じ日に撮影した別のEF58。ひさしがない。
当時EF58に牽かれる複数の客車列車があったことを示している。

急行立山。
大阪~富山間を走る急行だった。一部は富山地方鉄道にも乗り入れていたようだ。

特急なは。
モノクロなのでわかりにくいが、多分583系。583系で「なは」が運行されたのは1975年からで(だからこの写真もその頃)、新大阪~西鹿児島(今の鹿児島中央)間を走っていたらしい。朝、新潟行き北越を待っているときに撮影したもののはずなので、新大阪行きが大阪駅に入ってきたときだと思う。

こちらは場所も変わって上野から出発したと思われる特急。
絵入りのヘッドマークがあるのだけど文字が読めないので列車名が解らない。ヘッドマークで調べてみると、どうも「特急白山」らしい。
上野~金沢間を信越本線経由で走っていた特急。直江津経由なので柏崎には止まらなかった。だから乗ったことはない。
今の特急にはヘッドマークがあまりないのかな。あってもLED表示だったりして走行中はほぼ撮影できない。いつか前面に大型表示板を搭載して大型ヘッドマークを表示してくれる列車が出来れば良いな。

中華人民共和国展覧会'742020年09月02日 06時48分23秒

(これでも)比較的新しい写真から1ネタ。

ひょっとしたらあまり知られてないかもしれないけど、千里万博会場跡では、1974年に「中華人民共和国展覧会」というのが開かれた。
実は千里万博には中華人民共和国(以下中国)は出ていない。当時日本とは国交がなかったからだ。出ていたのは中華民国;台湾だ。田中角栄が中国との国交を正常化したのは1972年。

その2年後に万博会場でこれが開かれた。ここを使ったのはおそらく政治的配慮に依るものだろう。ほとんどの建屋は撤去されていたが、日本館は残っていたし、太陽の塔もまだ屋根付きであった。



人出は結構あったみたい。私はまだ小学生低学年だったので覚えてないけど。展示内容も。

会場内の写真はあまりなかった。
この時代の彼の国は謙虚だったのにね。周恩来の言葉なんて今のあの国とかこの国の指導者に聞かせてやりたいくらいだ。

この後日本全国で中国物産展というのが開かれたと思う。なんどか行ってかぼちゃの種とか買ったなぁ。中国に対してはその時のイメージが強くて。今はもうそんな国じゃないのにねぇ。

これは何処?2020年09月01日 05時50分01秒

明治時代の写真乾板に写っていたこの場所。
椎谷ではない。私の知る土地ではない。土地に特定につながるような資料も残されていないので解らない。
結構家が密集しているのでそこそこの都市だと思うのだけど、どなたかご存じの方がいらっしゃればお知らせください。

こちらも同じ乾板箱に入っていたのだけど、ひょっとしたらこれが手がかりになるかもしれない。でも私にはわからなくて。これだけ大きいのだからそこそこ有名な人のお墓だとは思うのだけど。
こちらもどなたかご存じの方がいらっしゃればお知らせください。

早いうちにまた新潟行って残りの乾板も回収してスキャンしたい。すべてのスキャンが終わってその写真がそれなりに価値があるならWeb博物館でも開こうかな。

写真乾板からのスキャン2020年08月31日 07時21分22秒

今回、新潟からは大量の写真乾板も発見された。歴史の教科書に徳川慶喜の写真が載ってたりするが、あの当時はガラス板に感光剤を塗った物に撮影していた。それが写真乾板だ。私も現物を見るのは初めて・・・ではないが、スキャンしてそれを再現するのは今回が初めてだ。

乾板のサイズは、一部例外もあるが殆どは12*8.5センチ位ある。現在もあるブローニーというものより1センチほど幅広い。うちのスキャナはブローニーまでは対応しているが乾板サイズには対応してないので1センチほど切れてしまう。乾板は今のフイルムにあるような送り用の穴がないので端っこまで撮影面なのでどこかを切る必要がある。1枚1枚上下どちらかまたは両方で切っていいところを探しながらのスキャンになる。

これは海辺で乗馬している写真。椎谷の浜ではなかろうか。
椎谷馬市のものかと思ったがそうではなさそうだ。
最初にこれを出したのは、これがちょっと特殊だから。撮影日が書き込まれているのだ。
フィルムカメラには日付を焼き込む機能があったけど、写真乾板にも日付が入っているものがある。どうやっているかといえば、ガラス板の上に文字を直接書き込んである。今のように油性のペンなどないと思うので、何かしらガラス乾板と親和性の良いインクがあったのだろう。手間がかかるか書き込まれているものは極めて少ない。この写真には明治39年6月21日と書いてある。これと同じ箱に入っていた乾板がその近辺で撮影されたことが特定できた。

これは椎谷観音堂の隣りにある香取神社ではないかと思う。
今とは社の向きが違い、鳥居もある。

社殿前で映されたと思われる人物写真。
板の汚れや感光剤の劣化による斑があるとはいえ、結構解像度高く写っている。当時の青年がいなせな感じなのもわかる。うちのご先祖も写っているのだろうか。

これはどこで撮影されたものかわからないが、椎谷集落の中かもしれない。当時の家の状況が見える。
瓦ではなく板を石で押さえているだけのような感じにも見える。瓦をはれるのは裕福な家だけだったのかもしれない。

上記の写真はまだ椎谷内という気がするが、他の写真はどこで撮影されたものか全くわからなかった。

乾板はこのような箱に入っていた。
イギリス製で、そのものずばり「DRY PLATE」と書いてある。「SPECIAL RAPID」なので、感光が速い=シャッタスピードが早く取れるものなのだろう。たしかに、馬なんぞ長時間露光では撮影不可だろう。箱には適切な露光時と過剰露光時における現像薬剤についても書かれている。うちの蔵の中には昔現像所があって自前で現像していたらしい。実は祖父は薬局をしていたのだが、もともとはこの写真用薬剤を扱うところから始まったのかも。

1箱には12枚入っている。それが別の大きな箱に最低でも50箱は入っていたと思うので600枚の乾板があることになる。今回は試しで1箱だけ持って帰ってきた。全部だとかなり重いので輸送にも注意が必要だ。1箱で355g、50箱だと実に17キロにもなる。今ならSDカード1枚に1000枚も撮影できるのだから、隔世の感がある。
乾板はガラス板なので取り扱いには注意が必要だ。さらに、先に書いたとおりどうしても一部切る必要があるので1枚1枚切る方向を決めてスキャンしなければならない。EPSONのX830という機種を使っているが、上位機種のX980なら切らずにスキャンできることがわかっている。しかし価格はX830の倍の6万円以上もする。この乾板スキャンだけでしか必要ない性能のためにそこまで出すのは難しい。誰か安く譲ってくれません?(^_^;)

今は亡き鉄道(20)2020年08月30日 06時23分37秒

最後は阪急電車の古い車両を。
写真はモノクロが多く、フィルムをスキャンしただけで輝度など調整してないので暗いがご容赦を。

1600系。北千里駅にて。1975年位。
千里線は阪急の中でも古い車両が残っていた線なのでこういうのが見られた。1983年に嵐山線を最後に廃車されたそうな。
走行区間が看板で掲げられているが、当時から梅田は「大阪梅田」と書かれている。正式駅名として変更になったのはごく最近だが、昔からそう呼ばれていたので違和感はなかった。

3300系。上と同時期。大阪市営地下鉄堺筋線直通車両。
実はこの系列自体は改修されて現在も存在する。が、この写真のは冷房化前のもの。Wikipediaにはこの3308編成の情報がない。幻の編成?
現在の3300系の写真は持ち合わせがなかったので、その神宝線版である3000系の現在の写真をば。

大阪市営地下鉄堺筋線60系
千里万博EXPO'70に合わせて18編成(90両)が一気に製造されたそうな。地下鉄堺筋線直通列車として千里線と高槻までの京都線で走っていた。冷房化されてないが、今と違って最高気温が30度を超えるほうがまれだった時代なので、ラッシュ時でもなければ扇風機だけで十分だったのである。後継の66系が登場した現在は全部廃車された。

2200系梅田駅にて。1976年か。京都線の6300系、神宝線の6000系と同じ1975年就航の、阪急の今につながる新型車両を模索する、ある種のテスト系列機。
幕による行き先・列車種別表示、前面下のランプ、運転席側面のHマーク、ワンハンドルマスコンなどが上記3系列で共通している。前面スカートもそうかな(6300系は特急なのでさらに天井白とひげがある)。2200系はチョッパ制御の試験車両でもあった。試験車両なので1編成しか存在しなかったのでなかなかに貴重な写真かも。
2200系はその後改番されて6000/7000系に編入されて系列としては消滅している。

6300系。6352はその3本目の編成。
6300系の細かいことは前に書いたので省略。この編成は短縮されまだ嵐山線で走っている。
前照灯がLED化されている。

当時の車内はこんな感じのクロスシートだった。
2:2のシート。扉横には補助席も見える。当時の特急にはつり革や車内広告がなかった。それを入れるというときには論議があった。全列車高槻停車するようになる時期かなぁ。

現在嵐山線に残るものはこのように2:1+扉近くはロングシートになって補助席はない。シートは9300形と同じものになっている。つり革や車内広告はある。

最後に、とっておきの写真を。わかるかな?
EXPO'70開催中だけ千里線に存在した「万国博西口」駅の看板。車窓に見えるのは万博のパビリオンの明かりと、西口への通路の街灯。たまたま写り込んでいる写真を見つけた。
この車両は当時千里線で走っていた100系だそうな。窓の形状でわかるらしい。万博対応の輸送強化のため古いけど大型だった100系も使ってたのだ。

ということで、再開したこのシリーズもまたもや終わり。今、新潟や実家で発掘した極めて大量の写真を整理中なので、ひょっとしたらまたあるかも。

今は亡き鉄道(19)2020年08月29日 05時56分35秒

481系「みどり」。新大阪駅にて。
新大阪~大分間の昼間特急だった。1968~1975年まで走っていたようだ。現在はJR九州で伯方~佐世保間を走る特急に名前が継承されている。長崎新幹線が出来たらその列車名になるんじゃないかなぁ。

キハ80系「はまかぜ」。多分大阪駅にて。
大阪から鳥取方面に行く特急。現在もこの列車は残っているが、キハ80系自体は存在しない。

現在は189系で運行されている。これじゃないかな。三宮駅にて。


今は亡き鉄道(18)2020年08月28日 07時57分31秒

EF58電気機関車。
EF65が登場するまでに旅客列車牽引の電気機関車の雄といえる車体。
EF58には初期型と改良型があって、初期型は前後にデッキがある。この写真のはないので改良型。大阪駅で撮影したが、年も列車名も不明。

こちらは昭和50年頃、前に紹介した山崎駅近くで撮影した、貨物を牽くもの。EF58 75かな。
後ろのほうが見えないから、非常に短い編成のはず。

この頃はよく見かけた機関車だったけど、なかなかに高性能だったかららしい。EF65にも劣らないそうだけど、流石に老朽化に依って引退したとか。

今は亡き鉄道(17)2020年08月27日 06時00分32秒

一旦終わったこのシリーズであるが、また古い写真が見つかったのでしばし再開。必ずしも自分で撮影したものではなく、友達と写真の交換したものもあると思う。

583または581系のつばめ。
「つばめ」というのは昭和初期の鉄道省時代からあり、国鉄のマークになっていたほどの代表列車の名前だが、古いところは省略して、東海道新幹線開通以降は新大阪~博多間の特急になったらしい。最初は151系や481系だったが、1968年以降583/1系も使われるようになったらしいので、その頃の写真。向日町基地かな。

現在はJR九州の新幹線にてその名が使われている。
当然のことながら走行区間も車両も異なる。写真は博多南車両基地内社屋屋上から。

581系「明星」。新大阪駅にて。
1968年に誕生した新大阪~熊本間の寝台特急。その後色々変遷はあったようだけど最終的には1986年に臨時列車になって事実上廃止されたみたい。寝台列車全盛期を見てきた世代としては、現在のように定期列車としては瀬戸・出雲以外全廃された昨今は寂しさもあるけど、移動が高速化した現代では仕方ないのか。

481系の「しおじ」。481系になったのは1965年らしいので当然それ以降の写真。
新大阪~下関間の昼間特急。新幹線が岡山まで延長された後も乗り換えを嫌う乗客のために新大阪発が残ったそうな。

どれも乗ったことはない。

懐かしいもの2016年12月17日 07時40分27秒

実家で荷物の整理をしていたら、懐かしいものを見つけた。
STARWARS、今で言うEPISODE IVの日本公開時の映画鑑賞券。昭和53年。梅田OS劇場。指定席だけど並んで待った。
見たときの衝撃は忘れられない。子供のときに見たのだから美化されている部分は多分にあろうけど、それに比べてEPSODE I~IIIとかVIIが、いかに映像はきれいでも熱くなれないのは私だけではないと思う。見た目の綺麗さは感動とは関係ないのだ。むしろきれいすぎると映像情報の整理に頭が使われて物語に集中できなくなり感動が薄まる。そして、あの頃はTV特撮でも映画でも情熱がこもっていた。いい時代だった。

そういえば、値段は1200円。今映画は1800円だっけ。40年で1.5倍のと言うのは安い方なんじゃないのかな?バス運賃なんて60円から230円で3.8倍だからなぁ。

追記:裏面を見るとこれは前売り券で1200円なのであって、正規料金は1500円だった。余計に安い。


こちらは2年後公開の帝国の逆襲。
これも見たときも衝撃的だった。まさか正義側が負けて終わるとは。ルークが腕を切られて逃げて、医療船で治療を受けてさてこれからどうなるのだ!?と思っているとカメラが引いて遠景になったと思ったらエンディング。「おぉっ、ここで終わるのか!?」「これは早く続きが見たいぜ!」と思ったもんだ。

どちらも青春と呼ぶにはまだ早い時期に見たけど、感動し、忘れ得ぬ作品。

残念ながら「JEDIの復讐」(当時の邦題)の券は見つからなかったけど、他のは出てきたので、いずれまた。

追記:
ダースベーダーの顔を持った花。
本当にそっくり。府立植物園の温室にて。今丁度夜間イルミネーションをやってて、この期間中夜間温室は無料なので、行かれた方は探してみては。なお、植物園自体は無料じゃないからね(200円)。

超珍しい写真見せてやる!(その23)2016年01月18日 21時43分30秒

ちょいとどころじゃなく忙しいく、体の疲労が取れないので軽いネタで。

特急「しらさぎ」。名古屋と金沢を結ぶ特急。今も存在するが、国鉄時代から存在する。
写真は481系または485系。どこで撮影したかは不明。

こちらは583系車両。売店のそば屋から解りそうなのだけど、やっぱり不明。前にもこのそば屋を考察したことがあったような気もするけど忘れた。「何とか山そば」。
特急乗って旅行したい。いやまあ年に1回は出来ているんだけど、ゆっくり温泉に行きたい。いや、それはそれで書くべきネタがあるんだけど、それはまた後日。

(C)おたくら編集局