学天則(追記版) ― 2022年01月06日 08時03分40秒
次回本のために資料のスキャンをしてたら、こんなのが出てきた。
学天則(「学」は本当は「學」)は昭和3年に作られた東洋初のロボットで、ここには「人造人間」と書いてある。
私がこれを初めて知ったのは昭和63年の映画「帝都物語」で。映画には西村博士の次男西村晃(二代目水戸黄門)も出ていた。
現物は現存しないらしく、ちまたで調べても出てくる情報はWikipediaのコピーしかなかったが、この記事はそれらとは全く違う物で、博覧会の後、東京上野の松坂屋で展示されたときに作った本人が書いた記事だ。
残念ながら切り貼りされており一部が欠けているのだが、貴重な文面かもしれない。
椎谷には関係ないので本には載せないと思うけど、それともおまけで載っけるか?
複製品は大阪市立科学館にあるらしいので機会があれば見に行くかな。
古いあれこれ(5) ― 2020年12月27日 08時36分06秒
古いあれこれ(4) ― 2020年12月24日 07時08分23秒
今度はこの切手。
「月に雁」というその筋では超有名な切手。切手収集が趣味でない人でも聞いたことぐらいあると思うんだけど。
1枚1枚でも評価高いけど、このように1シートだともっと高くなる。
私が切手収集を趣味にしていたのは小学校のことだけど、そのときに最初に聞いたのがこの切手だった。当然買えるような代物ではなかったけど。
こちらも有名な「見返り美人」。
見返り美人にはこのような単シート物もある。
この2枚持ってたら切手収集家としてはある程度の実力?があるということになるんじゃないのかな。そんな切手たち。
切手は、新品なら評価額が額面割れすることはまずない。その上、10年以上とかほっておくと数倍になることもあるから、一番安心な投資かも知れない。もっとも、ほとんどは少額だし(1銭の切手が100倍になっても1円だからね)、「買」はともかく「売」が面倒だけど。
古いあれこれ(3) ― 2020年12月20日 08時51分35秒
さてこれは何か。
実は日本最初;1871年に発行された切手。48文、100文、200文、500文の4種類が発行されたらしい。
周りに描かれた竜の文様に貨幣単位が「文」であるところから「竜文切手」と言われる。
最近、バイセルをはじめ不用品買い取り会社がちまたで買い取り合戦しているようだけど(うちにも1週間の間に3社も来た)、切手を売りたいと思っているなら、「竜文切手」と言ってわからないような連中には売っちゃだめ。まあ、今高く買い取ってくれるのは実は中国の古めの未使用の切手らしいけどね。
続いてこちら。
文様は似ているけど、通貨単位が「銭」になっている。なので「竜銭切手」。
半銭、1銭、2銭、5銭の4種類が発行された。1872年。
これの切手、発行からすでに150年も経っているだけあって、現在の評価額はかなり高い。実は竜文より竜銭の方が高いらしい。特に二銭はかなり高い。
そういう切手の現物を見る機会があったよ、と言う話。店とか博物館じゃないよ。
まだちょっと続く。
古いあれこれ(2) ― 2020年12月17日 07時18分53秒
古いあれこれ(1) ― 2020年12月15日 07時13分28秒
新潟では新聞の切り抜きも多数発見された。
まずはこれ。「真珠湾攻撃」の一報。
日付を見ると昭和16年12月19日になってる。実際の攻撃があったのは12月8日なので、11日遅れていることになる。その間に検閲や絵の作成(新聞にあるのは写真ではなく絵)などがあったのだろう。
書いてある戦果が正しいかどうか。どうも戦艦は正しいけど潜水艦は誇張だと思われる。Wikipediaの記事が正しいなら。戦時中の新聞記事は本当のことが書いてあるとは限らない。
これらの切り抜きもいずれ写真に撮ってPCに入れ込みたいけど(大きいのでスキャナでは無理)、アルバム写真が優先だし、とにかく多いので10年くらいかかるかも。
戦争関係;前半時期の切り抜きは綴じられているのだけど、それ以降のは見当たらない。これとは別に明治大正時代の新聞も大量に見つかっているので、歴史的事実があった日の物を探し出してみてみるかな。関東大震災とか二二六事件とかあると良いのだけど。
2020新潟帰省(21) ― 2020年11月09日 07時49分01秒
他にはこんな本が出てきた。
剣舞や弓術の構えの本だろうか。
軍隊物も何冊かあった。
こんな本も。
こんなのも出てきた。戦時中の、機影から機種を判別するための参考書だ。
祖父がこの地域の航空監視していたので持っていたと思われる。一般には売られていなかった書物かもしれない。
それで行くとこの機影はどれだ?
これは別途発見した写真から。
他にもたくさんの本が出てきたけど、全部紹介することは絶対無理な量である。
15時回ってから海へ。ここ数日で一番波が穏やかで潮も引いて浅い。
でも水温は低い。並行4往復泳いだ。
燃えるゴミをまとめる。一気に6袋も出来た。服が非常に多い。
先日買ったものはすべて使ったのでまた買わなきゃ。
ゴミ袋、京都では10枚単位だけど、ここいらは5枚で売られている。まさかと思ったけど、そうだった。
夜はスパゲティーを中心に、もやし炒めとかも作る。スパのソースはカレーで。
食べている最中に日没の時間が来たので撮影に行く。
沖の方では雨が降っているみたい。
夜、ほんの一時雨が降った。さっき沖に見えた雨が来たのかもしれない。
21時には寝てしまう。
2020新潟帰省(20) ― 2020年11月08日 06時52分13秒
岩内古絵葉書(5) ― 2020年10月19日 08時19分06秒
敷島内。何かどえらいところを渡っとるんですけど。
そもそも何のためにこんな物が付けられたんだろうか。絵葉書になるくらいだから、当時はそこそこ有名だったのだろう。好きな人と二人で無事渡りきったら恋が成就するって?いや、こんな所二人で渡る度胸があるならそりゃ叶えられるでしょうって。自分たちの力で。
敷島内というのは岩内の南部で、この海岸線のとこかだとは思うのだけど、今はもうこの危ない物はないようでGoogleEarthで眺めてみたが見つけられなかった。
雷電。雷電としか書いてないけど温泉らしい。
今でもGoogleEarthで見ると雷電温泉と表示されるが、実際には今はここには宿はない。最後の1軒「三浦屋旅館」も令和元年に廃業となり、今はかつて温泉街があった廃墟の場所になってしまった。
Wikipediaによると温泉宿が出来たのは昭和36年とあるが、それ以前から地元の人は行ってたのだろう。だから絵葉書になってると。
もっと早くに先祖のこと調べてたら行けたかもしれないが、残念。
と言うことで、岩内シリーズは終わり。
この岩内と泊村(当時)にはご先祖のゆかりがあるので、行けるようなら行ってみたい。
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