家系図2020年10月08日 07時23分02秒

今家系図を作っている。正確には、一度作り上げたがまた新しい資料が出てきたので増補修正中である。

普通の家系図というのは誰と誰が結婚して子供が出来てと言うようなのを線でつなぐだけだが、私の作っているのはそれ以外に誰がどの年代を生きたか、その人の写真付きで作っている。

親子・親戚関係がわかってもそれらの人が年代的にどれほど一緒に過ごしたかというのはこれを見なければわからない。子供が祖父母を知っているかなどがこれでわかる。

さて、家系図を作るのに絶対必要なのは戸籍謄本。自分のだけでなく、ご先祖の分までとれればなお良い。親戚のもあればいいが、昔と違って今は個人情報保護のため関係者以外はとりにくくなっているので難しいかもしれない。
これに加えて、過去帳もあればなお良い。戸籍が出来たのは明治以降なので、それ以前を知るにはこれが必須だ。過去帳は菩提寺に行けばあるはずだ。うちの菩提寺は少なくとも1700年代からは今の場所にあるので、うちのご先祖もそこまでたどることが出来た。
過去帳を使うときの注意は、過去帳では数え年で記載されること。戸籍は実年齢なので食い違いが出る。さらに、戸籍名と過去帳上の名前がなぜか違うこともある(戒名と俗名という意味ではない)。
うちの場合、さらに日付とともに写された人物写真があったのでそれも活用している。

昭和戦後以降の戸籍謄本は比較的読みやすいが、明治・大正の物は手書き手写しなので読みにくい上に旧漢字や今はほとんどないであろう家族制度が出てきたりするので、その読解はなかなかに難しい。

幸いにして、うちでは昔にとられた戸籍謄本が出てきたのでそれを使っている(明治年間の!)。たとえばこれ。
明治の戸籍謄本には身分が書かれている。ここでは「平民」と。少なくとも明治30年代までは書かれているようだ。さらに、「私生」という言葉も見える。正妻以外との間に出来、認知前の子供だ。「伯父」「養父母」というのも見られることがある。生まれが江戸時代でも、明治以降に生きていればこのように戸籍が作られている。
戸籍からは抹消されるのは今は結婚と死亡(相当)だけだが、昔は分家しても抹消された。また、出戻りすると前の続きではなく新規に戸籍に追記される。出戻りとは離婚して戻るだけでなく、分家解消というのもある。

今回作ってみて、まともな家系図を作る作業がいかに大変かがよくわかった。うちはまだ縁戚関係が簡単なのでなんとかなったが、お手欄のを少し見せてもらったらすごい人数で、これを書き上げるには1年くらいかかるんじゃないかと思われた。うちのこれですら第1版を書き上げるのに2ヶ月はかかったから。これから新資料を元に第2版の作成にかかるけど、また1ヶ月はかかろうかと。

家系図を作るのは意外に大変な作業だとわかった。一方で今回のことでやり方は大分わかったので、これを仕事にしようかなどと考えたりしている。需要があれば。
戸籍謄本と過去帳が入手可能で(個人情報保護条例のためこちらで入手出来ないので)、それが江戸・明治・大正・昭和戦前以前にもかかっていて(昭和戦後以降なら簡単)、家系図を作って欲しい方はお問い合わせを。量にも依りますけど、最低一ヶ月はかかるのでお値段もそれなりにさせていただきます。

千里万博;資料編(4)2020年10月07日 06時38分26秒

千里万博では記念切手も発行された。
うちにある物を調べていたら、3種類のシートが出てきた。




表面には万博のマークが描かれているが、これには銀色と金色の2種類あるらしい。うちにあったのは一番上のが銀色で、後は金色。

今このシートがいくら位するのかなと思って調べてみたら、意外にも額面割れすることもあるくらいなのだそうな。理由は発行部数がとても多いから。どれも一千万枚近く発行されたらしい。もちろんすでに使われシートになっている物は減っているとはいえそこそこ残っているはずだから、そんなことになるのだ。私は記念で持っておきたいので売る気はないけど、ちょっと残念。

ところで、この千里万博のシンボルマークはシンプルで覚えやすく極めて美しいと思う。子供でも容易に覚え描ける。それにくらべて2025年の大阪万博とか東京オリンピックのデザインは複雑すぎて。奇をてらってるだけにしか見えないのだけど。虚飾を排しその催しに込められるべき思いの核を表す、そんなデザインは出来ないもんかねぇ。

千里万博;資料編(3)2020年10月06日 07時02分16秒

機関車の乗車券。
1889年製造のクラウス17号。これを持ってきてた協賛企業は意外なところだったんだけど、今ちょっと資料が見当たらないので後日かくということで。

実体の写真がないのでよくわからないのだけど、乗ったのかなぁ。
この乗車券は未使用のが数枚あったので配られてたのか?

千里万博;資料編(2)2020年10月05日 08時39分05秒

今度は万博会場外周を走っていたモノレールの券。このレールの写真は以前出した。
これが乗車券・・・と思ったら、そうではなくて乗車整理券。

こちらが乗車券。1周100円か。
乗車券と整理券の関係は不明。

こちらはエキスポランドにあった遊具の乗車券。
絵柄は同じだけど背景色が違う。写真がないのでどんな物かはっきりはしないのだけど、回転軸がロケットの形で、その回り、腕の先にカーゴが付いてて回転しながら上下するやつじゃないかと思う。

エキスポランドには多数遊具があったろうし、万博内でもこのほかダイハツ製電気自動車によるタクシーなどがあったはずだけど、それらの券はなかった。あまり遊ばなかったのかなぁ?

千里万博;資料編(1)2020年10月04日 08時44分36秒

諸般の事情により岩内絵はがきネタは後日に延期。あしからず。
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新潟と実家の整理から見つかった千里万博の資料。その数は非常に多くてまだほとんど整理できてない。写真集、ガイドブック、スタンプ帳、記念メダル、記念コップ、トーテムポールの貯金箱、各館のパンフレットなどなどある。

前に記念メダルは出したけど、今度は入場券。大人11枚子供1枚が出てきた。

うちに親戚中が泊まって行ったから、自分たちで行ったものの他もらったものもあるかもしれない。

入場券を入れる袋の中には交通網が書かれているがこれが当時を知る良い資料になる。
大阪市営地下鉄が「大阪市営高速鉄道」と書かれていたり(何号線という呼び名は今でも正式名称)、万国博西口駅が地図上は「仮設駅」と書かれている(文章内では「西口」。北大阪急行は上新田で曲がって会場に向かっているが、この上新田という駅は今はない。インターネットで調べても全く引っかかってこないが、聞いたところによると旧千里中央駅のことらしい。現在の駅より少し南、おそらく中国縦貫道路と交わる付近ではなかろうか。万博に関しては写真も大量にあるけど、この旧千里中央駅のはなかった。残念。

新幹線は新大阪までしかない。中国縦貫自動車道がすでに書かれているが、中国縦貫道は上下のどちらかだけすでに開通していてそこを対面通行で使い、万博が終わってから北急路線跡を道路にして対面通行を解除したらしい。

千里万博は本当にいろいろ紹介するものがあるので徐々に。

椎谷越後名勝絵葉書(改)2020年10月03日 06時15分46秒

お寺さんに行って、確認出来たので修正。

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絵葉書の中には、椎谷の風景を写したものもあった。
作ったのはうちの菩提寺である華蔵院さん。当時はこんなこともされていたのね。

保存状態があまり良くなくてかすれてるけど、説明文から大体の場所がわかる。観音堂の近くから米山を写したものだ。

これが現在の写真。
ほぼ同じ?まあ、当時はテトラポットなんかなかったはずだけど。

不動の滝。
他の写真から察するに昔は納涼の場所だったみたい。
私に言わせれば椎谷自体が避暑地みたいなもんだけどね。

今は正面の水はほとんど流れておらず、横手からわずかに落ちているのみ。上と比べると大分奥まっているように見えるが、それは崩れたから
横に見える不動尊のほこらは今もある。同じ位置から撮影したものがないので振り返って1枚。

観音岬に沈む夕陽。

これは残念ながら同じ位置からの撮影がなかったのでよく似た写真で。
今は観音岬の下は行きにくいんよね。

観音堂、じゃなくて隣にある香取神社。
今の写真はどっかにあるはずだけどちょっと出てこないので後日。
ちなみに150年前の姿はこう。

その隣にあるのが観音堂。
観音堂は今も昔も茅葺きなのだそうな。ちなみに来年はご本尊のご開帳が予定されている。本当は今年だったんだけどコロナの影響で延期。

仁王門。

これも今も同じ位置にあるけど、こちらも屋根が違う。昔は茅葺きのように見えるけど今は瓦。
手前にある歌碑などは同じ。上の写真にはわらじが見えるけど今もあって、来年までに大わらじを含め掛け替えられるべく準備されている(7月にはは華蔵院さんに行くと見ることが出来たけど、先日はなかったような気がするもう交換されたのかも)。

四が抜けているけど、どこだったのかねぇ。陣屋跡か馬市?
時代がわからないけど、建物の状況や撮影者の名前から推測できそうなので、今度行ったときに住職に聞いてみよう。

第2集ということで、第1集も見つかれば良かったんだけど残念ながらなかった。お寺さんにも数枚あるらしいけど、それが第1集なのかどうかはわからないそう。他に椎谷を写した物はあるにはあり、それもおいおい紹介したいけど、保存状態が悪くて。

岩内古絵葉書(3)2020年09月29日 06時17分33秒

八幡通り。
今も存在して、町役場とかが存在する通りだと思う。これがどのあたりから撮影したものかはわからないけど、左の大きな建物は役場かもしれない。
電柱があるということは、すでに電気が来ているということ。(当時としては)進んだ街だったということだ。当時のことだから、比較的近所に水力発電所があるはず。何処だろう。


御鉾内町。
現在は存在しないのかもしれない。探しても見つけられなかった。こちらは商人の街だろうか。
ここにも仁丹の看板が見える。当時からえらく広まっていたんだなぁ。仁丹の発売は明治38年らしいので、この写真もそれ以降のものだとわかる。一方、其の後ろの電柱にはよく見ると「ヘブリン丸」という文字が見える。これは今の参天製薬が作っていた風邪薬だそうな。明治23年発売らしいので、仁丹の年代から推測した年代が正しいことを示している。
こちらにはさっきのところより大きな電柱が見える。商売するところのほうがより多くの電力を使うということだろうか。しかし電車ではなく馬車鉄道が走っている。Wikipediaに其の記述があった。これの開業が明治38年、廃業が明治45年なので。この写真がその間のものであることが確定できる。港と結んでいたようなので、港で陸揚げされた物資がここで商いされていたのかもしれない。もしくはここで集積された北海道物産が港から輸出されたか。人も多く往時の繁盛が忍ばれる。
ところで、写っているのは子供が非常に多い。なんでだろう、写したのが通学時間だったからだろうか。いずれにせよ、若い世代が多かった証拠である。

岩内古絵葉書(2)2020年09月28日 07時09分33秒

岩内港築港工事の様子。
コンクリートの岸壁ではなく人力で岩を運んできて積んでいるのがわかる。岩内というより、当時の築港の方法や工事人の服装がわかる資料になるかも。
でもこれでは大きな船は接岸できないのではなかろうか。この後整えていくのかもしれないけど。
沖に見えるのは当時の北前船だろうか。北前船と言うと江戸時代の帆船をよく見るけど、明治時代には汽船になっててもおかしくない。船の写真もあればよかったのになぁ。

岩内古絵葉書(1)2020年09月27日 15時21分17秒

大阪の古絵葉書の紹介は一旦中断。基本は印刷の違いだけだからね。要望があれば続けるけど。

・・・

ということで、唐突に別の場所の絵葉書を紹介し始める。しかも、おそらくはほとんどの人が知らない場所のものを(大失礼)。

北海道に岩内という場所がある。公式HPはここ。何故かHP内には位置が分かる地図がないが、こんな場所。
北海道の日本海側にある。言っちゃ悪いけど、田舎の町だ。ただし「現在は」だ。その昔、北前船が活躍していた頃にはここはその集積地としてたいそう繁盛した土地だった、はず。実はうちのご先祖;おじいさんのおじいさんは北前船での貿易をしていたらしく、最終的にはこの岩内でなくなっている、ということが家系図を作って判明した。で、ここで作った嫁と子供を認知してそれが今のうちの直系になっている。

その頃;すなわち明治年間くらいは岩内もおそらく全国的に知られた場所であり、故に絵葉書も作られたのだと思う。それを紹介していく。

先に書いておくと、今ここに写っているものが残っている可能性は極めて低い。なぜなら、岩内は何度か大火があったらしいので。それでも当時の賑わいを知りたいとか、岩内の人がその歴史を調べようとする上で何かしらの役に立つのであれば幸いである。私も一度は行ってみたいと思うのだけど。全く縁がないわけではないとわかったので。

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岩内の全景図。

其の二とあるが、残念ながら一は見つからなかった(二が2枚あるからどちらかが間違いかも)。びっしり建物が並んでいる。これを見ても当時は多くの人が住んでいたことがわかる。沖に見える船は北前船だろうか?

其の三は別の角度から。
もう少し別の角度から、例えば海から街を見上げるような構図があればいいと思うのだけど、ない。

大阪古絵葉書新カラー編(3)2020年09月26日 07時17分48秒

千日前楽天地。
白黒や似非カラーに比べ二周りほど写真部分が小さくなっている。やはりこの印刷は費用がかかるのだろうか。さらに、画角的に引いているので建物が小さい。周りの余白に書き込めるから良いと見るか、写真が小さいのはやっぱりだめと見るか。


白黒と比べるとカラーの色の付き方はやっぱり少しおかしいと思う部分もある。左のドームの中の朝日とか。一部は手塗りで補正している気がする。
(C)おたくら編集局