祇園祭2015(1) ― 2015年07月25日 11時37分09秒
(一度書いて保存したのに消えていたので、また書きなおし。ASAHI-NETブログはいい加減システムを改良してほしい。今回は一寝した後に気がついたので書いた話の内容は殆ど覚えていない。)
京都の7月は祇園祭の月。その中でも最大の行事である宵山と山鉾巡行は昨日までに終わったけど、この季節にそのことを書かないわけにはいかない。
去年から祇園祭は本来の形である先祭と後祭りに戻った。先祭の方が出る山鉾も多いが、繁華街の四条中心のため混み合いすぎているので行く気にならない。さらに今年は巡行が大風で一番雨のきついときだったので(まさかそのままやるとは思わなかったけど)行かなかった。ということで、余計に後祭に期待するわけで。
後祭りの山は大船鉾を除き御池通に近い=北側に位置するためうちからは行きやすい。また、人出も先祭りに比べれば少ない、のだろうから、祇園祭本来の雰囲気を味わうにはよい。烏丸通りに歩行者天国はないが、逆に先祭の時はある、通りの一方通行規制もないので自由に見て回れるのも良い。
こちらは一番北側にある役行者山。
京都の7月は祇園祭の月。その中でも最大の行事である宵山と山鉾巡行は昨日までに終わったけど、この季節にそのことを書かないわけにはいかない。
去年から祇園祭は本来の形である先祭と後祭りに戻った。先祭の方が出る山鉾も多いが、繁華街の四条中心のため混み合いすぎているので行く気にならない。さらに今年は巡行が大風で一番雨のきついときだったので(まさかそのままやるとは思わなかったけど)行かなかった。ということで、余計に後祭に期待するわけで。
後祭りの山は大船鉾を除き御池通に近い=北側に位置するためうちからは行きやすい。また、人出も先祭りに比べれば少ない、のだろうから、祇園祭本来の雰囲気を味わうにはよい。烏丸通りに歩行者天国はないが、逆に先祭の時はある、通りの一方通行規制もないので自由に見て回れるのも良い。
こちらは一番北側にある役行者山。
これは昭和55年に調査された、応仁の乱から現在までの山鉾の遷移図。現在まで残るものもあれば、すでに失われたものも数多い。大船鉾のように無事復活できれば良いが、中にはお囃子や一部宝物だけ伝承・公開されている町もあるらしい。大船鉾の復活には150年もかかったが、他のも何世代かけてでも復活されるといいと思う。
役行者山を出ることには日も陰りいい雰囲気になってきた。
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