椎谷観音堂御開帳は明日までです ― 2022年05月30日 21時40分37秒
2021祇園祭後祭宵山 ― 2021年07月28日 07時42分45秒
24日、祇園祭後祭宵山に行ってきた。宵山と言っても普段通りではなく、一部の山が組み上げられているだけ。ちまきなどの販売はないし、山飾りにも火はともされていない。でも、それなりに雰囲気はある。
組まれている山は半分くらいだろうか。去年は来てないので2年ぶりだけど、なんか通りに提灯がともせるようになったみたい。室町通、新町通に提灯があった。なんか風情があって良い。
一部の山は飾りを公開してた。どこでも虫干しを兼ねて出してはいるのだろうけど、一般に見えるようにしているところはほとんどない。
気がついたのはこの黒主山だけ。
山を出してないところもあった。多分交通量の多いところはやめたんじゃないのかな。
人は、少ないというほど少なくなく、多いというほど多くない。元々後祭は前祭に比べ少ないけどね。
少ないとはいえそこそこ人がいて、しかも山もあるのに自転車で爆走していく頭の悪いのがいる。いや頭が悪いというか道路交通法違反。道路に山が出ている場所は歩行者天国になっているからね。愚か者からは自転車をその場で取りあげる「現行犯没収」すべきだと思う。
出店もほとんどなかったけど、食事の店は多くが開いてた。中には、狭い店内にそんなに人入れて大丈夫?というところもあった。外からよく見えるんよね。食事処だからマスクしてないし。
ちょっとでも祇園祭の雰囲気を味わえたのはよかったかな、という感じ。
来年は普通になるかな?
天神祭花火 ― 2019年09月09日 05時57分48秒
7/25は天神祭の船渡御だった。その花火を某所から見られる機会を得たので行った。
虹が出てる。見えるかな?
でもその場所からの写真は都合により公開できないので、別の場所で撮影したものを。
で、その写真を見たらこんな事になってた。
大爆発?
露出時間が長すぎたか。それがピッタリ合うとこうなる。
別の1枚。
花火の写真を撮るのは難しい。シャッタースピードが早すぎると暗いし、長すぎると爆発になる。人の目には残像があるから長く光っているように見えるけど、物理的には極めて短い時間の発光なのだ。この時の撮影でも何度も設定を変えた。それでもうまく撮れたのは2000枚の内50枚もない。練習すると言っても花火大会探して行くしかないのかなぁ。
・・・
このネタ、実は出すのためらってた。例の京都アニメーションの事件があったから。でも四十九日を過ぎたのでもう良いかなって。悲しいからと言って全てを封じるのは違うと思うし。でも合掌。
2019祇園祭後祭宵山風景(8) ― 2019年08月03日 06時34分27秒
鷹山。
今年はいよいよ唐櫃での巡行復帰となった。
193年ぶりだとか。後数年で山を再建しての完全復帰を目指している。復元されれば観音山と同じく車のついた大きな山になるらしい。数年前に大船鉾が復帰した時は見に行ったし、鷹山が復帰する時は会社休んででも見に行こう。
復元費用を集めるためか、ちまきほかグッズが他よりちょっと高いのは勘弁してね。
最後は烏丸通に出て鈴鹿山。
飾り。
もう21時を回っていたため子どもたちの姿がなかったのは残念。
ということで、四条通より南にある大船鉾以外すべて回った。大船鉾は遠いんよね。四条通を横切るには労力が居るし。誰かが来てれば一緒に行くんだけど、一人ではちょっと億劫になってしまう。
ではあるけど、やっぱり、後祭の宵山、回れるだけは回る。今回は本当に腰が危なかったけどなんとかここまで保ってくれた。本当にギリギリだった。最後まで回れてよかった。
この後雨が降ってきて、家に帰り着くまでにはだいぶ濡れてしまった。回っている間に振らなくてよかった。翌日翌々日と雨だったので、この日が今年の傘なしで回れた最初で最後だったと思う。今年の梅雨は長かったね。
最後に提灯を1枚。
ちょっと芸術的?
ということで、2019年の祇園祭宵山の話は終わり。
2019祇園祭後祭宵山風景(7) ― 2019年08月02日 06時14分54秒
こちらは源平の鵯越えを描いた屏風。
こちらの右上ね。
隣りにいた人が「斜面の傾斜80度くらいあるんじゃない?」とか言ってたけど、80度では馬が駆け下りることは不可能。特に昔の馬は今のように大きくなく足も短かったから余計。80度というのは山の垂直に見える斜面くらい。まあせいぜい45度じゃないかな。それでも人には壁に見える位きついはず。
八幡山。通りで言うと、黒主山と同じ位置の一筋西。
ここは入口が広くて入りやすい。多分後祭で一番広い。
これは屏風祭ではなく昔の山鉾巡行の様子を描いた屏風のデジタルコピー復元物。
上の方に大船鉾、浄妙山、八幡山が見える。
こちらが御神体の鳩。
左のは江戸初期の彫刻家左甚五郎作と言われるもの。右は復元物。今巡航で使われているのは右だけど、上の絵図にあったのは左か、もしくはその前のもの。左甚五郎作といえば日光東照宮の眠り猫もそうだけど、どうも単一人物ではなく当時の名工の代名詞のような感じだったらしいという説もある。
八幡山も祇園歌を残している数少ない山の1つ。残念ながら、この時は聞けなかったけど。もう遅い時間で子供がいなかった・・・ということはなかったけど。鳩の置物買ったのは子供だったし。
「八幡さんの厄除けのお守りはこれより出ます。ご信心の御方様は受けてお帰りなされましょう。ろうそく一丁献じられましょう。ろうそく一丁どうですか。」
この後「ちまきどうですか。~どうですか」。と続くのだけど、そういえば、歌詞は最初以外役行者山と同じか。今はじめて知った。役行者山の歌詞は聞いて起こしたけど、こちらは歌詞の紙が置いてあったので。
鳩のお守りをいただくのと、ろうそくも献じた。
八幡山の町内でも屏風祭がある。
この様に絵だけのものもあれば、
こちらは字だけ。漢文。
名君とはどういうものかが書いてあるらしい。
どこぞの国の君主気取っている連中に読ませたい。
2019祇園祭後祭宵山風景(6) ― 2019年08月01日 06時11分20秒
北観音山。その名の通り、南観音山の北にある。両山とも同じ御神体を奉じているが、場面は異なる、はず。
船鉾と大船鉾とか、同じ御神体を奉じている山鉾は複数存在する。
こちらでも祇園囃子を演奏していて、ちょうど終わる所だった。拍手が上がった。
この北観音山は、先にちょっと書いた、保存蔵を残している数少ない山の1つで、それがこの写真右に写っている蔵だ。その中を写した映像を見たことがあるのだけど、どこだったかなぁ。
そういえばここではもう垂れ幕が飾られている。小さな山と違い、このサイズになると飾るのも大変だから一気にやるということか。
北・南量観音山から次の八幡山までの間は屏風祭りが最も盛んな場所だ。沢山の展示がある。まあ、それだけ昔ながらの大きな家が残っているという意味でもある。
ここは屏風の数もすごいけど、観音山の模型も立派だ。北か南かはわからないけど、町内からすればやはり北か。
こちらの屏風もきれい。それより奥のお座敷の広さのほうが気になったけどね。
こちらはいくつかの種類の屏風がある。
一番奥にある衝立の絵は鷹だと思うのだけど、
羽のところの輝きは、ひょっとして螺鈿?
D7500は超広角レンズ、αは3倍レンズだったのでこれ以上寄れなかった。来年はコンパクトか望遠持って来るか。
2019祇園祭後祭宵山風景(5) ― 2019年07月31日 05時56分24秒
橋弁慶山までは室町通というところを下ってきたけど、錦小路で折り返して今度は1つ西の新町通りを上がる。
そういえば、橋弁慶山の1筋南に今年もエコ屋台村があったのだそうな。今パンフレットを見て気がついた。現場では全く気配を感じなかった。夕食少なめにして、なんかあったら食べようと思ってたのに、残念。
南観音山。「山」だけど車輪も付いた大きな物。
「山」と「鉾」の違いは車輪の有り無しではない。屋根の上に鉾頭や真木というのがあるかどうかだそうで、この南観音山、それに北観音山は真松を飾っているので「山」になる。
上には囃子方が乗る場所があり、折しも祇園囃子を演じるところだったので、しばらく聞き入っていた。
この写真は囃子方が揃う前なので人が少ないが、最終的には肩寄せあってぎっしり乗る。
長いお囃子で、どこが切れ間なのかわからないけど、少なくとも15分は続く。8分くらいまで録音してた。
南観音山は乗ることも出来る。ただし、この日はもう終わっていた。
ちょっと引いてみるとよく分かるけど、左右の建物の間、ギリギリの幅で建てられているのがわかる。
電線にも万が一のことがないようにカバーがかけられている。この辺りの街では、祇園祭が最優先なのだ。
2019祇園祭後祭宵山風景(4) ― 2019年07月30日 05時57分28秒
2019祇園祭後祭宵山風景(3) ― 2019年07月29日 05時46分20秒
浄妙山。
飾りの展示のマンションのフロアで。
今はこの辺りもマンションが増えており、建て替えのときに山や鉾、もちろんこういう装飾品も収納できる場所をもったビルにするみたいだ。もう昔ながらの収納蔵を持った町はあまりないのだろうと思う。
浄妙山と後の橋弁慶山の御神体は似ていると思うのだけど、失礼?
一応縁起は全く違うのだけど。
鯉山。
鯉山はこの写真だけ。後祭は年々人が減って最初はあった通行規制もなくなったのだけど、ここだけはいつも人が多い。去年ほどではないにせよ、並ばなきゃいけなかったので入らなかった。
まだ明るい、あんまり早い時間に行っても情緒がないしなぁ。難しいところ。
その近くでも屏風の展示があった。
日本三大仇討ちに数えられる「曽我兄弟の仇討」を題材にした「曽我物語」を題材にした屏風らしい。
左右で違う場面だけど、同じ1枚の中に場面の変遷が入っているので説明を読まないとよくわからない。漫画の全ページを1枚に貼り付けたといえばいいかな。
ちょうどこの時、隣りにいたおじさんは落語の師匠らしかった。上の写真の右下の人。いかんせん私がその方面にはとんと疎いので名前を聞いてもわからなかったのだが、どこかのお座敷の後に、せっかくだからと後祭に来たそうな。周りのお付きの人が話してた。
2019祇園祭後祭宵山風景(2) ― 2019年07月28日 07時07分52秒
黒主山。
黒主山は展示と同時に説明もしてくれる。
30分くらいもあるか。立ちっぱなしは腰に悪いのだけど聞く。
西陣織の綴織の前懸け。左の色あせたのが300年前ので、右が平成になってから新調したもの。
今どきはもうこういう物を作れる職人さんも少ないのだそうな。つづれ織りというのは経糸の間に横糸を通していく技法だが、それ故に表から見ても裏から見てもほぼおなじに見える。で、百年以上の間、裏側で使っていたのを気が付かなかったんだそうな。新調時に初めてわかったと。すごいねぇ。
あと、上部中央に赤い丸があるけど、これは日輪。他の前掛にも必ず入っているらしい。
今年は桜を新調したと言ってた。紅しだれともう1種類忘れた。
上の山の写真にも写っている。
しかし、ここで長い間立ちっぱなしで居たため、腰がかなり危険な状態になった。いつギックリ行ってもおかしくないほど、というか何度もいけかけた。こういうときに限ってコルセットも持ってきてない。引き返すか、それとも気をつけながら回るか。一旦帰ったらもう出てくるのは不可能だろう。明日は平日だし(この日は日曜日)。腰に用心しながら回ることにする。
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