大阪古絵葉書新カラー編(2)2020年09月24日 17時15分49秒

今度は道頓堀。
梅田駅は見事なカラーだったが、なんかこれは建物は見事だが旗は旧カラーよりかはマシだけどベタ塗りしたような感じも残っている。

新カラー版は白黒版の画角に近いし、看板などもほとんど変わってないような気がする。
道頓堀があまり変わらなかったのか、時代的それほど離れていないのか。

今は亡き鉄道(31)2020年09月25日 08時47分05秒

この写真に映る蒸気機関車。果たしていつの何処のものか。

機関車もやたら古いので国鉄ではないとは思ったのだけど、一体何処なのかさっぱりわからなかった。機関車なのに煙を上げてないのもおかしいし。

で、他の写真も合わせてみると、どうも奈良にあった「奈良ドリームランド」のようだ。
その開園は1961年だけど、おそらくこれらの写真はそれからまもなくの頃だと思う。

ドリームランドは、アメリカディズニーランドをモチーフにした遊園地らしい。
そういえばこの山みたいのがあちらにあったような。
ちゃんとディズニーのところに行って協力も得たらしいけど、あまりの出来に、これを見てウォルトディズニーが激怒して日本人嫌いになったとか。これがなければ日本に本物ディズニーランドが出来るのはもっと早かったのかも、と言われる。

なんかやけにちゃちな城。

これは安芸の宮島のミニチュア?

普通の遊園地的乗り物もある。
2000年代まであったらしい。一度は行っておくべきだったのかな?

大阪古絵葉書新カラー編(3)2020年09月26日 07時17分48秒

千日前楽天地。
白黒や似非カラーに比べ二周りほど写真部分が小さくなっている。やはりこの印刷は費用がかかるのだろうか。さらに、画角的に引いているので建物が小さい。周りの余白に書き込めるから良いと見るか、写真が小さいのはやっぱりだめと見るか。


白黒と比べるとカラーの色の付き方はやっぱり少しおかしいと思う部分もある。左のドームの中の朝日とか。一部は手塗りで補正している気がする。

岩内古絵葉書(1)2020年09月27日 15時21分17秒

大阪の古絵葉書の紹介は一旦中断。基本は印刷の違いだけだからね。要望があれば続けるけど。

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ということで、唐突に別の場所の絵葉書を紹介し始める。しかも、おそらくはほとんどの人が知らない場所のものを(大失礼)。

北海道に岩内という場所がある。公式HPはここ。何故かHP内には位置が分かる地図がないが、こんな場所。
北海道の日本海側にある。言っちゃ悪いけど、田舎の町だ。ただし「現在は」だ。その昔、北前船が活躍していた頃にはここはその集積地としてたいそう繁盛した土地だった、はず。実はうちのご先祖;おじいさんのおじいさんは北前船での貿易をしていたらしく、最終的にはこの岩内でなくなっている、ということが家系図を作って判明した。で、ここで作った嫁と子供を認知してそれが今のうちの直系になっている。

その頃;すなわち明治年間くらいは岩内もおそらく全国的に知られた場所であり、故に絵葉書も作られたのだと思う。それを紹介していく。

先に書いておくと、今ここに写っているものが残っている可能性は極めて低い。なぜなら、岩内は何度か大火があったらしいので。それでも当時の賑わいを知りたいとか、岩内の人がその歴史を調べようとする上で何かしらの役に立つのであれば幸いである。私も一度は行ってみたいと思うのだけど。全く縁がないわけではないとわかったので。

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岩内の全景図。

其の二とあるが、残念ながら一は見つからなかった(二が2枚あるからどちらかが間違いかも)。びっしり建物が並んでいる。これを見ても当時は多くの人が住んでいたことがわかる。沖に見える船は北前船だろうか?

其の三は別の角度から。
もう少し別の角度から、例えば海から街を見上げるような構図があればいいと思うのだけど、ない。

岩内古絵葉書(2)2020年09月28日 07時09分33秒

岩内港築港工事の様子。
コンクリートの岸壁ではなく人力で岩を運んできて積んでいるのがわかる。岩内というより、当時の築港の方法や工事人の服装がわかる資料になるかも。
でもこれでは大きな船は接岸できないのではなかろうか。この後整えていくのかもしれないけど。
沖に見えるのは当時の北前船だろうか。北前船と言うと江戸時代の帆船をよく見るけど、明治時代には汽船になっててもおかしくない。船の写真もあればよかったのになぁ。

岩内古絵葉書(3)2020年09月29日 06時17分33秒

八幡通り。
今も存在して、町役場とかが存在する通りだと思う。これがどのあたりから撮影したものかはわからないけど、左の大きな建物は役場かもしれない。
電柱があるということは、すでに電気が来ているということ。(当時としては)進んだ街だったということだ。当時のことだから、比較的近所に水力発電所があるはず。何処だろう。


御鉾内町。
現在は存在しないのかもしれない。探しても見つけられなかった。こちらは商人の街だろうか。
ここにも仁丹の看板が見える。当時からえらく広まっていたんだなぁ。仁丹の発売は明治38年らしいので、この写真もそれ以降のものだとわかる。一方、其の後ろの電柱にはよく見ると「ヘブリン丸」という文字が見える。これは今の参天製薬が作っていた風邪薬だそうな。明治23年発売らしいので、仁丹の年代から推測した年代が正しいことを示している。
こちらにはさっきのところより大きな電柱が見える。商売するところのほうがより多くの電力を使うということだろうか。しかし電車ではなく馬車鉄道が走っている。Wikipediaに其の記述があった。これの開業が明治38年、廃業が明治45年なので。この写真がその間のものであることが確定できる。港と結んでいたようなので、港で陸揚げされた物資がここで商いされていたのかもしれない。もしくはここで集積された北海道物産が港から輸出されたか。人も多く往時の繁盛が忍ばれる。
ところで、写っているのは子供が非常に多い。なんでだろう、写したのが通学時間だったからだろうか。いずれにせよ、若い世代が多かった証拠である。
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