大阪古絵葉書カラー編(2) ― 2020年09月11日 06時32分51秒
カラー版にだけある所の紹介。
三越呉服店。
これのことかなと思うのだけど。大阪市北区は北浜にあった三越。
実はこの写真も新しくはなくて、2000/8/15に撮影した物。当時はこの近くに務めてたのでしょっちゅう見てたんだけどね。阪神淡路大震災の時は窓ガラスがたくさん割れて大変だった。
現在この建物は存在しないようだ。会社としての三越自体も単独では存在しない。百貨店業界にはつらい時代。特に今年はそうだろうなあ。
手前に見える古い建屋は「コニシ株式会社」の大阪本社。あのボンドのコニシだ。改修こそすれ今も存在する。GoogleEarthで探すなら、「道修町1」とこの建屋で探すと良いだろう。
大阪今昔には直接の記述はないが、この道路の先にある「高麗橋」については章があって、その中にわずかに「三井呉服店」の名前がある。それだけなので省略。
大阪古絵葉書カラー編(3) ― 2020年09月12日 05時59分00秒
住吉神社。
今は住吉大社というのか。住吉神社と言えば海の神様で、全国の海の近くに存在するが、この大阪の住吉神社が総本社であるそうな。
明治の初めまではこの反橋は人間は渡れなかった。全国の神社に反橋はあるが、多くは神様が渡る橋と言うことで、人の通行は出来ないようになっているはず。京都なら上賀茂神社にもある。
住吉神社ほど反り返ってはいないが。新潟は弥彦神社にもあったなぁ。
住吉神社の橋は明治の末には渡って良いことになったようで、ということは、この写真もそれ以降の物と言うことになる。
大阪今昔にも記述がある。
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「住吉神社」
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住吉名所や名物をよみこんだ歌謡は、古来たくさんにある。中でいちばん有名なのは、^^高砂やこの浦舟に帆を上げて・・・の謡曲「高砂」であり、つづいて伊予節のそれであるが、面白いのは地唄の「住吉詣」であろう。
伊予節については、ここにあらためて掲げるまでもないが
^^堺住吉 反り橋わたる 奥の天神五大力 おもとやしろや 神明穴から大神宮さんをふしおがみ 誕生石[セキ]は石をつむ 赤前だれが出てまねく ごろごろせんべ竹馬に麦藁細工につなぎ貝 買わしゃんせ
素描の素描なら、このうた一つでこと足りるかもしれない。それに堺住吉といいきっているのは面白い。
「住吉詣」の方は、地唄の中でも新味に富んだもので、歌詞を見てもわかるように、明治時代の作である。貫之の歌を枕にして、
^^道しらば摘みにもゆかん住の江の 岸におうちょう恋わすれぐさ ここは難波[ナンバ]の車どめうさ忘れ草つまましと ただ一こえの笛の音に のりて出でたつ思うどち 語らうことも名に高き 阿倍野のやしろ天下茶屋 はしりすぎつつ巻たばこ すいきらぬ間にいさぎよく 着くや心も住の江の 四つのみ社ふしおがみ はまに出づればあまの子が 拾うはまぐりあさり貝 したたみがいのしたしくも やよまてしばし言問わん ものいう貝のさくら貝 いざやひろわん家づとに 妹に見せまし子安貝 世のうきこともわすれ貝 かいある御代のすみよしの 岸のひめ松ひめ松きしの 岸の姫松めでたさよ
後半は貝づくしになって陳腐だが、巻たばこすいきらぬまにいさぎよく、着くや・・・というあたり、いかにもその作詞の時代をものがたって、ほほえませる。
長唄の雛鶴三番叟に採り入れられた住吉も、うつくしい。その他、清元や常盤津にも散見する住吉は、ことごとくきれいだ。
古は、住吉の海はちかく、現在の高燈籠の下まで汐がよせたらしい。高燈籠もそのための燈台である。朱の社殿、翠の木立、白砂青松の住吉は、いまなお昔をおもわせるが、海は次第に埋立てられて、三韓渡航の砌り、社頭の浜からお舟出になった御模様などしのぶべくもない。
住吉公園の池はコンクリートになり、五色の睡蓮がうかび、花壇のつつじはチューリップに席をゆずり、すっかり近代色をみなぎらせている。美しく整理はされたが、もはや雅びかな、住の江の岸の姫松いく代へぬらん、という趣きはなくなった。
しかし、四社のやしろは、今もなお国宝として、健在である。
住吉神社へ詣って、誰でも異様に感じることが二つある。一つは、四つの社のならび方、一つは、石舞台と楽舎の位置である。
普通、四社ある場合、たいていは横列にならび、したがって四社合拝の礼をとり、神饌を相嘗にしている神社もある。が、この住吉神社では、第一本殿から、第二、第三と縦列に配置され、第四本殿だけが、第三本殿とならんで、横にはなれている。
^^四社のお前で扇を拾うた ぬしにあうぎの辻占や・・・
と、雛鶴三番叟にあるが、この歌詞は調子だけのもので、四社のお前とはいいにくい。住吉の四社がなぜ、一社だけべつにあるかということは、古来いろいろにつたえられている。少ししらべて見たが、適確な記述が見当らなかった。
思うに、神功皇后御出征の砌、住吉の社(その頃は住吉とはいわず、海宮[ワダツミノミヤ]と称した)に、海上の安穏を祈られたが、途中、舟、風波に遭って海にめぐり、すすむこと能わず、その時海宮の祭神、表筒男[ウワヅツオ]、中筒男[ナカヅツオ]、底筒男[ソコヅツオ]の三神の教えにしたがい平かに海をわたりたもう、と日本書記にあり、御凱旋の
上、海宮の社域をひろめ、御造殿のこともあったのではあるまいか。一の神殿の祭神は底筒男命、二の神殿は中筒男命、三の神殿は表筒男命と三社を縦におき、第四の社はのちに造営になり、祭神は神功皇后であるところを拝察しても、三社とはべつに祠られたのではあるまいか。古事記にも、墨江之三前[スミノエミサキノ]神也とあり、もとは三社であったように考えられる。
次に、石舞台の位置である。石舞台は、いうまでもなく祭神にささぐる舞楽を奏する舞台で、どの神社でも、本殿の前方にあるのが例であるが、ここのは、一の神殿の右側、廻廊の外にあって、北向きに舞い奏することになっている。以上の二つは、だれの目にも一寸奇異の感をいだかしめるので、書きそえておく。石舞台の位置の何故なりや、御教示を得たいと思う。
住吉に詣でて、もっとも印象的なのは、反り橋と、高燈籠である。境内無数の大小の石燈籠も目をそばだたしめるが、これは、石清水八幡や、春日神社の古き、夥しきには一籌を輸す。ただここは、海[ワダツミ]の神なので、そのほとんど全部が、各地廻船問屋や船主からの寄進である点、異色がある。異色といえば昔から、
「書は貫名、詩は山陽」
という、その二人の揮毫なる石燈籠が、仲よく、参道をさしはさんで向い合って立っている。山陽の方は署名はなく、阿州藍玉大阪積の字だけであるが、貫名の方は、永壽講の字のほかに、八十五、貫名海屋と署名されている。
どちらも見上げるばかり立派なものが二基づつならんでいるからすぐ分る。反り橋を、北へよったところである。
そういう例外はあるが、石造美術としての価値からいえば、前述の石舞台の方が、はるかに高い。創立は不詳であるが、一説には、楽舎と共に豊臣秀頼の寄進であるという。鑑識家が、慶長ころのものであろうと、もらしたのを聞いたことがあるし、信仰家の秀頼なら寄進しそうである。殊に当社には、有名な秀吉の願文が保存されている。父子二代の信仰を、この摂津一の宮にもっていたのも面白い。秀吉の願文とは、大政所の病気平癒を祈願したものである。
猶以命儀三ヶ年、不然者二年、実々不成者三十日にても憑被思召候
今度大政所殿煩於本腹者、為奉賀壱萬石可申付之条、弥可被抽懇祈事専一候也
六月廿日 秀吉花押
住吉
これが全文である。猶以て命の儀、三年、それも出来ない相談なら二年、実々ならぬものならば三十日でもよい・・・というあたり、太閤の真情が吐露されている。
高燈籠については、摂津名所図会に
出見の浜にあり。夜ばしりの船の極[メアテ]とす。闇夜に方角を失うとき、住吉大神をいのればこの燈籠の灯ことに煌々と、光あざやかなりとぞ
と記述があるほどで、筆者は、この燈籠の下、花月亭に一年がほど棲んでいたので、つれづれに、よく登って見たが、此方からの眺望は大してきかない。埋立と煤煙で、海も見えなかった。
^^住吉さまの高燈籠 のぼって沖をながむれば・・・
という俗謡があるが、卑猥でここには載せられぬ。
反り橋は、亀戸の天神の三倍くらいある。
太宰府のよりも大きい。
この反り橋は、子供の時によく渡った。のぼる時より、下りる時が怖かった。しかし、どの神社にかぎらず、反り橋は神橋で、俗人のわたるべきものではない。反り橋があれば必ず反り橋のかたわらに、平橋がある。平橋は、反り橋の渡り得ぬ人のためにあるのではなくて、反り橋は渡ってはならぬのである。反り橋には、のぼり易いように、
足がかりの穴がつけてあるが、あれは俗人のためではなく、渡御の時、御輿に供奉する人のためであり、あがけ(足掛)、くびすえ(踵据)と称する穴である。穴かしこかしこ。
住吉の川柳には、とるべきものが見当らぬが俳句ともなれば、何しろ貞享年間、社前において西鶴が、一昼夜に二万三千五百句の大矢数をこころみたというところだけに、今もなお句碑にのこる
升買ふて分別かわる月見かな 芭蕉
をはじめ
たがうゑし松にや千代の後の月 大江丸
松苗やゆくゆく月のかかるまで 几菫
松風の声も添へけり夏神楽 翠鴬
この上は車一輛ほととぎす 淡々
若みどり神の浜松ひねたれど 来山
反り橋に胸のつかえる蛙かな 貞佐
などのよい句がある。
住吉の名物は、麦藁細工の住吉踊りをはじめ、いろいろある。中に、茗荷[ミョウガ]が数えられていないが、忘れ草、忘れ貝、忘れ水・・・もの忘れの神様かと思うほど、忘れ物が多い。
道しらばつみにも行かむ住の江の
岸に生ふてふこひわすれ草 貫之
いとまあらば拾ひに行かむ住吉の
岸によるてふ恋わすれ貝 不知
住よしの浅澤小町のわすれ水
たえだえならで逢ふよしもがな 範綱
という有様である。
埋立地には二業指定地もあり、ものいう花もあり、我を忘れ、家を忘れる人もある。
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大阪古絵葉書カラー編(4) ― 2020年09月13日 06時11分28秒
大阪天保山。
天保山と言えば今は海遊館で有名な場所だ。かつては日本一低い山(ただし人工)だったが、最近2番目になったらしい。
文言には四国瀬戸内海や別府へ行く船が出ているように書いてあるが、現在も一応客船桟橋はあるもはあるが、それらへ行く物はないんじゃなかろうか。私も大阪から船でそれらに行くときにここから乗ったことはない。
大阪市庁舎。
これは3代目の庁舎。現在は御堂筋は淀屋橋の近くに4代目の庁舎が出来ており、これは解体され残っていない。
大阪市庁舎を大阪の観光場所とするなら、ここより今も残る中之島公会堂(正式名称は大阪市中央公会堂で大正7年竣工)の方を出した方が良いんじゃね?と思うのだけど、この絵葉書が発行されたときはこちらの方が出来たてほやほやだったのかもしれない。3代目市庁舎竣工は大正10年なので、この絵葉書の発行はそれ以降と言うことが分る。白黒版より5年ほど後だ。
大阪今昔では「中之島」の章にわずかに記述がある。白黒編で出てきた大正橋、難波橋の名前もある。
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「中之島」
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大淀の流れが、悠々と大阪の市中に注ぎこみ、毛馬をすぎ、川崎をすぎ、錦城の天守をうつして大きく屈折するとき、忽突として中之島剣先は、この大川を二つに引裂く。
北なるは川幅ひろく流れゆるやかな堂島川、南なるは両岸やや迫って水勢つよい土佐堀川となる。この二つの川は、はるか十五六丁も川下の、端建蔵橋[ハタテクラバシ]の下でふたたび落合う。すなわち、中之島の尽きるところである。
その中之島を胸骨と見て、あたかも肋骨のごとく左右の川へのびている橋は、川上から天満橋[テンマバシ]、天神橋、難波橋[ナニワバシ]はべつとして、北(堂島川)に鉾流橋[ホコナガシバシ]、可動堰[ダム]、大江橋、渡辺橋、田蓑橋、玉江橋、堂島大橋、上船津橋、船津橋、南(土佐堀川)に栴檀木橋[センダンノキバシ]、淀屋橋、肥後橋、筑前橋、常安橋[ジョウアンバシ]、越中橋、土佐堀橋、湊橋があり、そして尾骨のごとく端建蔵橋があって川口につらなっている。今、その橋々の解説だけしても、茲にたいてい詳しくはつくせない。
かりに淀屋橋の上に立って、土佐堀川の上流をながめたとして、天満橋は見えないが、一番上に見えるのが「天神橋は長いなあ、落ちたら怖いなあ」と、いとも合理的なうたいかたで当時の童謡にもある天神橋。まん中のが難波橋。一番手前が栴檀木橋[センダンノキバシ]である。この橋は、筆者にとって忘れられないものがある。まず我流にこの橋からはじめる。
古い地図を見ると、大正以降に架かった可動堰[ダム]や土佐堀橋、上船津橋、鉾流橋はべつとして、この栴檀木橋は、書いてあったりなかったりする。元禄元年以前に架橋せられたものであるが、たびたび火災や洪水に遭って流れ、この橋だけはいつも等閑に附せられているかたむきがある。現に明治十八年の大洪水に流失して以来、大正二年まで架設されなかったくらいである。
ずっと昔には、この橋はただ、中之島の突端にある備中成羽五万石、同檜原二万石、美作津山十万石の蔵屋敷への通路であった。そのころの中之島の尖端を山崎の鼻といった。すなわち備中成羽は山崎主税助義厚で、山崎殿の鼻というほどの意味で、蔵屋敷が廃止になり、このあたり一帯が遊覧の地になってからも、久しくそう呼びならされていた。この山崎の鼻に埋立地が出来て種々の興行物や山雀の芸当、犬芝居、軽業などがかかり、料亭もあり、篠崎小竹の友人の持家がそこにあり、田能村竹田が泊まって、水明楼と名づけたという伝説もあった。山崎の鼻にさらに鼻が出来た、鼻から鼻が出たというので、ここを風ひき新地と呼んだ。
明治の末、そこには橋がなかった。そこには、裁判所や憲兵屯所の建物を取はらってひろびろとしたあとへ、現在の市庁舎のところに中之島公園が入口をひらき、正面にローマ寺院を思わすようなマリシャンオーダーの大円柱がそそり立ち、青さびたドームの三層楼の巍然とした大阪府立図書館を中心に、夜はアーク燈がかがやき、夏はビヤホールもある大阪唯一の市中公園であった。筆者は曽根崎に住んだので、夏の夜などよく祖母の背に負われて、この公園に涼を求めた。祖母は公園をぬけて、土佐堀川のほとりに川風をしたって逍遥しながら、いつも
「昔はここに、せんだのき橋という橋があってなあ」
祖母は子守唄の合の手に、いうのであった。
「橋の下に、ぎょうさんのたのきがいたんや。そして通る人をだましたもんや。百匹も、千匹ものたのきがなあ。それで、橋の名もせんだのき橋というのんや」
古い大阪人は、狸をたのき、狐をけつねと呼んだ。油揚の入ったうどんはけつねうどんで、粋[イキ]に、信田[シノダ]などともいった。
千匹の狸の話に怖えながら、背中にちぢこまって寝た孫をゆり上げゆり上げ、祖母は大江橋を北へわたって帰って行った。
その後、大正二年、岩本栄之助が私財百万円をポンと投出して造った大阪中央公会堂が起工された時、その公会堂の横正面に、新しい橋が架けられたのである。当時は、筆者ももう小学校の四年生で、橋柱の字は読めた。
「お祖母さん。あんた、間違うていまっせ。あの橋は栴檀の木橋で、せんだのき橋やおまへん」
「そうやったかいな」
祖母は、おだやかに笑っていた。栴檀の木を、せんだのきともじって、即興的に背の子に話してきかせる。祖母は、そんな面を多分にもっている人だった。しかし、そんなことには気もつかず、少年は、たしなめるようにいった。
「第一、あんな川に狸がいるなんて筈はあらへん。訝[オカ]しいと思うていた。狸なんてもんは、山奥にいるもんだっせ。街のまん中に、狸はいまへん」
祖母の顔から、笑いの翳が消えて
「幸さん」
じっと、少年をみつめるようにした。
「狸は山奥にいると、かぎりまへん。どこにでもいます。そして、人を誑します。山奥にいる尻尾の生えた狸より、まち中[ナカ]にいる尻尾のない狸の方が、よっぽど怖い。あんたも、気をつけんといかん」
栴檀木橋を南へ渡ると、南北の筋を栴檀木橋筋とも、略して栴檀筋ともいう。その栴檀筋の高麗橋の角に農工銀行がある。筆者はやや長じてから、親戚の功利家に乗ぜられ、先祖から伝わった家や土地を沈め、農工から金を借りて与えたことことがある。親戚は巧みに肩を抜いてしまったが、筆者はいつまでも農工に苦しめられ、半年賦償還の金を夫婦していうにいわれぬ苦労をし、半年に一度、かならずこの橋を渡って農工へ通った。そんな時、いつもせんだのき橋の話を思い出して、祖父や祖母にも、おろかな自分が恥ずかしくてならなかった。
栴檀木橋といっても、栴檀の木で造ったのではない。この橋詰に、往古大いなる栴檀の木があって、神功皇后還御の時、艦[フネ]をつなぎたもうたという伝説によるのである。
中央公会堂の建設費百万円を大阪市に寄付しておいて、ピストル自殺をした岩本栄之助は、当時著名な北浜の株式仲買人であった。彼は公会堂の建築中に、当時の第一次世界対戦を永続しないものという見解の下に、弱気一点張りの売方針に終始し、大正五年十月十七日に至って、再び起つべからざる窮地に陥って死んだ。が、彼が自殺して二月を出でずして、世界の情勢は一転した。もう二ヶ月を売りつづける粘着力があったら、と、惜しまるる人の一人である。
その一つ上流の難波橋[ナニワバシ]、何がゆえにこの橋頭に巨大なる獅子の像があるのか、筆者は寡聞にして知らぬ。石橋だから獅子がいると、長唄もどきで片づけるわけにも行かない。現在は大阪一の近代調を誇るこの橋が、実は大阪最古の橋であり、行基菩薩の架設したものという。栴檀木橋の一つ下[シモ]の淀屋橋は、寛永年間、淀屋二代个庵が、米相場に群集する人々のために、自費をもって架けたので、そのまま名づけて淀屋橋といった。
淀屋橋とまっすぐに、堂島川に架けられたのが大江橋である。もっともこれが直線化したのは、北区の大火に焼失後、架替えの時からであった。
大江橋の一つ下[シモ]の橋は、渡辺橋である。
俊成卿の夫木集にもある通り、一橋にして三名ありという。現在はその三名を三つに分けて、難波橋、大江橋、渡辺橋とべつべつにしているが、もとはこれ一つであった。場所は太平記にもある通り、現在の天満橋のあたりであろうか。行基のかけた難波橋のあとに、大江の岸の名をとって大江橋が架せられた。そのころはこの川にこの橋一つ、天満郷へ渡るところから、渡辺橋の別名があったのである。
渡辺橋から一つおいて、玉江橋がある。
^^玉江橋から天王寺が見える さても不思議な玉江橋 ありゃりゃこりゃりゃ さあさよいやさ
と大阪独特のおんごくの唄にもうたわれる通り、やや反り橋のこの橋の中ほどに立てば、行く手の真南に、天王寺の塔が三重まで見えたという。現今のように高層建築物が無く、さえぎるものが無いのだから、見えるには見えようが、真南に見えるのはいかにも不思議で、天王寺はあきらかに玉江橋から巽のかたに位する。
一筋におがみたまへや玉江橋
あらとうとやのとうと念佛
当時における、不思議の一つであった。
はしの話しはこれで打ち切り。とうてい、はしばしまでは行届かぬと御容赦を乞う。
(後略)
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ということで、大阪古絵葉書紹介はカラー編もおしまい。次は東京にするか、京都にするか。東京は全然土地勘がないから本当に絵葉書載せるだけになるけどね。
今は亡き鉄道(27) ― 2020年09月14日 07時00分32秒
また古い写真が出てきたので紹介。
特急白鳥。写真が小さくて見えにくい(だから気が付かなかった)けど、ヘッドマークをよく見ると白鳥と書いてある。
大阪~青森間を日本海側で走っていた。最初の頃は停車駅が少なく柏崎には止まらない為乗る機会はなかったのだが、末期には止まるようになったので乗れた。設備とかは同じ485系の北越と変わらなかったけど。そのあと大阪~青森間はこの昼間特急白鳥、夜行日本海ともに廃止されてしまった。その後走り始めたのが前に紹介した「トワイライトエクスプレス」。
こちらは富山県は宇奈月温泉から欅平間を走る黒部峡谷鉄道。1993年。
後にも先にも乗ったのはこの時一度きりなのだが、この年は雪が多くて終着の欅平までは行けず途中駅で折り返した。駅で降りることも出来なかったので本当に行って帰るだけだったのが残念。なぜか途中の車窓からの写真が1枚もないのだが、非常に狭いトンネルの中を走るため、窓からカメラ出してたらレンズぶち当てて破壊すること必至だと思った記憶がある。非常に迫力ある。
この電気機関車はEDM26。
現在この形式は改修されすべてEDR型となっているらしい。故にこの形式でのこの車両は今は存在しない。
また乗りに行きたいなぁ。今年はもうすぐシーズンオフだから来年以降か。
今は亡き鉄道(28) ― 2020年09月15日 06時02分33秒
今度は立山アルペンルートの黒部ダム~扇沢間を走っていたトロリーバス。
1997年撮影。今ここは電気バスが走っているはず。
このルート行ったのはこのときだけ。また行きたいなぁ。
急行ちくま。立山アルペンルートの行った帰りに撮影。
かつて長野~大阪間を走っていた。この後電車化されたようだけど、現在はそれも廃止されている。駅で撮影したけど、多分乗ってないと思う。
富山地方鉄道立山駅引き込み線に止まる、アルペン号。旧西武レッドアロー号。
立山アルペンルートの行きに撮影。富山地方鉄道は全国の大手私鉄の廃車を導入するので前に紹介の旧京阪3000系の他にもこのような列車が存在する。西武は狭軌1067mmなので台車もそのまま使えるはずだけど、西武内で流用するため履き替えているみたい。京阪は標準軌1435mmだから履き替えたはず。
この車両は2011年に大幅改造されて観光列車になっているそうな。正確にはこの系列は2編成あって1編成だけ改造されたこの写真のがどちらかは不明。観光列車化されなかった方は2両編成になったようなので、3両編成のこの写真は貴重と言える。今度行くことがあれば乗ってみたいなぁ。
今は亡き鉄道(29) ― 2020年09月16日 06時38分05秒
今度は駅舎。
鳥取駅。年ははっきりしないけど昭和40年代より前なのは確か。分かる人には車の型式からわかるのかな。
今は改築されてぜんぜん違う。
金沢駅。1966年より前なのは確かだけどはっきりはしない。
水没したフィルムからなので見えない部分があるのはご容赦を。
北陸鉄道金沢市内線の線路と架線が見える(これで年代がだいたい分かる)。前年ながら車両は写ってないけど。
金沢駅は新幹線開業に合わせて作り変えられたので今はぜんぜん違う。まあ、駅だけじゃなく金沢市街地は景観がガラッと変わってるけどね。
京福電鉄永平寺駅。昭和30年代のはず。電車もわずかに見える。
永平寺駅は2001年の列車事故の後運休となり、2002年廃止、2005年に解体されたそうな。Wikipediaには解体直前と思われる駅舎の写真があるけど、それと殆ど変わらない。田舎の駅は長持ちする。
JR富山港線時代の岩瀬浜駅、の駅看板。1997年。
下は人が写っているので切り取り。昔この近くにユースホステルがあったので行った。名前のとおりすぐ近くに浜があるのだけど、5月頃は浜一面にホタルイカの死骸が打ち上げられていたのを思い出す。あれって食べられたのかなぁ。駅近くの魚屋でも売ってたけど。
これが現在の駅舎、のはず。撮影は2011年。JRから富山ライトレールに移管されたけど、今年2020年に富山地方鉄道富山市内線と直通運転が開始されるのと合わせて同社に吸収合併されたそうな。
JR時代の駅舎は撤去され、路面電車の駅になっている。
手違いで駅看板の写真がない。これだけ。
これが富山ライトレール時代の車両。2011年。
社名が変わったから窓上に書かれている「TOYAMA LIGHT RAIL」は書き換えられているかもしれない。
駅前にはなにもないといえばなにもないけど、雰囲気は好きなのでまた行きたいなぁ。
・・・追加・・・
中央本線は上諏訪駅。昭和49年。
現在も駅舎はほぼこのままの形だけど、外装は改装されている。
駅名看板も今はこのままではない。これは国鉄時代のものなので貴重かも。
横に見える電気機関車はEF64-19。JRになった時JR貨物は塩尻機関区に配置されたが、現在は廃車になっている。なのでこの写真も貴重。横っ腹だけだけどね。
きれいな雲 ― 2020年09月17日 07時14分11秒
35ミリでスキャンされた画像をハーフに分割するプログラム ― 2020年09月18日 07時06分09秒
このスキャナはなかなか良いスキャンをしてくれるが、残念ながらハーフで撮影されたフィルムに対応していない。フィルムでは基本的には35ミリ幅でコマ割り=ハーフで2枚分が1つに入ってくるが、時々ハーフで数コマ抜ける。しかも何処が抜けるかは傾向はあるが不定。しかも抜けた画像はコマ割りモードでは絶対にスキャンできないので通常モードに切り替えて個別にスキャン領域を設定する必要がある。スライドのハーフでは自動認識がほとんど失敗するため個別設定が必要。
というバグが有るのだが、それ以上に小回りできたとしても35ミリ単位なので後で半分に切り出す作業が必要になる。少数なら良いが、例えば今回の私の写真スキャンでは実に14000枚もあったのでそんなコトしてられない。
ということで、自動的にハーフで分割するプログラムを作った。Pythonというプログラム言語で書いたので、その実行環境さえ作れればWindows/Mac/Linuxいずれでも動くはずだ(Windows以外はフォルダ構成部分をちょっと書き換える必要はあるかもしれないけど)。
画像を35ミリの真ん中で分割する、という単純な処理ではない。ハーフの境界線は実は微妙にずれるのでちゃんとそれを認識している。その他フイルムスキャンでやりがちな鏡像スキャンしたものを戻す処理も入れた。
・・・
一応フリーで公開しますが、当方現在無職のため、これを使って役に立ったと思った方は志ある方は金銭でも食料でも寄付していただけるとありがたいです。寄付先などはメイルでお問い合わせくださいませ。
そうそう、転載は禁止です。
・・・使い方・・・
python half5.py JPEG画像ファイル名またはフォルダ名 (オプション)
画像ファイルの場合、拡張子は省略可能(フォルダかどうかは自動識別)
画像のあるフォルダの下にhalfというフォルダを作って、その下に分割した画像が格納される。フォルダで指定したときはその中にあるJPEG画像をすべて処理する。子フォルダまでの再帰処理はしない。分割の縦横は自動認識する(35ミリベースで回転されている時)。
すでに処理済み、35ミリ幅のものは分割せずhalfにコピーされる(ただし、ファイルとしてのコピーではなく一旦展開→再圧縮はかかる)。
主なオプション
-m 鏡像変換もする
-f 強制的に真ん中で分割する
境界線が認識できないような画像の時に使う
(真っ黒に近い画像だとか境界線部分に焼き込みがあるとか)
詳しいことはプログラムを読むか、質問して。
・・・ここから・・・プログラム名はhalf5.py・・・
# -*- coding:utf-8 -*-
#JPEGのハーフ画像を分割する
#ハーフとフルが混じっているフイルムにも対応
#境界線は前後少しずれてもOK
#しかし、真っ黒に近い画像だと誤検出することもあるので、強制モードも有り
#Copyright (C) 2020 by おたくら編集局
#Python3用
import sys
import os
from pathlib import Path
from PIL import Image, ImageFilter,ImageOps #画像処理ライブラリ
from argparse import ArgumentParser #引数解釈
#グローバル変数/定数
fDebug = False #デバッグ表示など追加(コマンドラインオプション)
fDebug2 = False #〃(プログラム的強制)
q = 97 # JPEG出力画質
sepWidth = 60 # ハーフの隙間幅(大体)
sepStep = sepWidth//10 #ハーフ隙間間検出ステップ
sepPer = 0.18 # 境界線と見なす割合(この割合以上明るい色があれば境界線ではない)
if fDebug:
print("境界線割合=",sepPer);
HSVLight = 0.23 #HSVの明るい色閾値
OutputFolder = "half" #出力フォルダ名
class Half:
def __init__(self):
"クラス初期化処理"
#print(self)
#end of __init__
def cutImage1(self, picpath, fMirror=False, fForce=False, save_dir=None):
"""1枚処理
picpath 画像群のあるフォルダ名または1ファイル名
save_dir 出力フォルダ名
リターン値 True=分割した , False=そのまま出力した
"""
# print(type(picpath))
# picname = picpath.name #ファイル名+拡張子
picname = picpath.stem #ファイル名のみ
# print("picname=",picname)
if save_dir!=None:
#フォルダ指定がある時
picname_base = str(save_dir / picname)
else:
picname_base = str(picname)
ext = ".jpg"
if fMirror:
ext = "M.jpg"
im = Image.open(picpath)
if fMirror:
#鏡像モード
im = ImageOps.mirror(im)
size = im.size #画像サイズを得る
print(picpath,size,end=":")
gx = size[0]
gy = size[1]
f = False
if gx>=gy:
print("横長")
ret = (True, gx/2, 1) #強制半分分割時の情報
if not fForce:
ret = self.isHalf(im, True)
if not ret[0]:
print("すでに分割済み")
#オリジナルのまま出力
im.crop((0, 0, gx, gy)).save(picname_base + ext , quality=q)
else :
hw = ret[1] #境界線座標
im.crop((0 , 0, hw-1, gy)).save(picname_base + 'L' + ext , quality=q)
im.crop((hw+ret[2], 0, gx , gy)).save(picname_base + 'R' + ext , quality=q)
f = True
else:
print("縦長")
ret = (True, gy/2, 1) #強制半分分割時の情報
if not fForce:
ret = self.isHalf(im, False)
if not ret[0]:
print("すでに分割済み")
#オリジナルのまま出力
im.crop((0, 0, gx, gy)).save(picname_base + ext , quality=q)
else :
hh = ret[1] #境界線座標
im.crop((0, 0 , gx, hh-1)).save(picname_base + 'U' + ext , quality=q)
im.crop((0, hh+ret[2], gx, gy )).save(picname_base + 'D' + ext , quality=q)
f = True
return f
#end of cutImage1
def isHalf(self, im, fHorizontal):
"""ハーフ画像かどうか調べる
im 画像
fHorizontal True=横分割 , Flase=縦分割
return値 (True=ハーフ画像と思われる,境界線座標,境界線幅) または (False=ハーフでは無いと思われる,-1,0)
"""
size = im.size #画像サイズを得る
gx = size[0]
gy = size[1]
if fHorizontal: #横分割
#境界線が黒か調べる
x = (gx+1)//2
if fDebug or fDebug2:
#境界線部分を画像として書き出す
im.crop((x-sepWidth, 0, x+sepWidth, gy)).save("LR.jpg" , quality=q)
#中央に境界線がある可能性が高いので、まずは中央を見る
ret = self.yoko(im ,x, gy)
if ret[0] == True:
return ret
#中央にないときはずらして再調査
if fDebug2:
print("xx=", x-sepWidth, "~", x+sepWidth)
for xx in range(x-sepWidth, x+sepWidth): #少し前ずれにも対応
if xx == x:
#上で中央は見ているので飛ばす
continue
ret = self.yoko(im, xx, gy)
if ret[0] == True:
return ret
#for xx
else: #縦分割
#境界線が黒か調べる
y = (gy+1)//2
if fDebug or fDebug2:
#境界線部分を画像として書き出す
im.crop((0, y-sepWidth, gx, y+sepWidth)).save("UD.jpg" , quality=q)
#中央に境界線がある可能性が高いので、まずは中央を見る
ret = self.tate(im, y, gx)
if ret[0] == True:
return ret
#中央にないときはずらして再調査
if fDebug2:
print("yy=", y-sepWidth, "~", y+sepWidth)
for yy in range(y-sepWidth, y+sepWidth): #少し前ずれにも対応
if yy == y:
#上で中央は見ているので飛ばす
continue
ret = self.tate(im, yy, gx)
if ret[0] == True:
return ret
#for yy
#endif
#明るい色だらけだった
return (False, -1, 0)
#end of isHalf
def yoko(self, im, xx, gy):
"横の処理"
if fDebug:
print("--横:xx=", xx, "--")
AllCnt = 0 #全ドット数
LCnt = 0 #明るい色の数
for y in range(0, gy):
AllCnt += 1
rgb = im.getpixel((xx, y))
hsv = self.rgb2hsv(rgb)
if fDebug:
print("横(", xx, "," , y, ")rgb=", rgb, "->hsv=", hsv)
if hsv[2] > HSVLight: #明るい色があった
LCnt+=1
#for y
#明るい色の割合が一定以上なら境界線ではない
per = float(LCnt)/float(AllCnt)
if fDebug or fDebug2:
print("明るい色=", LCnt, "全ドット数=", AllCnt, "割合=", per)
if per < sepPer:
#sepPer未満なら境界線かもしれない
#境界線幅取得
wd = self.getSepWidth(im, xx, True)
if wd[1]:
return (True, xx, wd[0])
#明るい色だらけだった
return (False, -1, 0)
def tate(self, im, yy, gx):
"縦の処理"
if fDebug:
print("--縦:yy=", yy, "--")
AllCnt = 0 #全ドット数
LCnt = 0 #明るい色の数
for x in range(0, gx):
AllCnt += 1
rgb = im.getpixel((x, yy))
hsv = self.rgb2hsv(rgb)
if fDebug:
print("縦(", x, ",", y, ")rgb=", rgb, "->hsv=", hsv)
if hsv[2] > HSVLight: #明るい色があった
LCnt += 1
#for x
#明るい色の割合が一定以上なら境界線ではない
per = float(LCnt)/float(AllCnt)
if fDebug or fDebug2:
print("明るい色=", LCnt, "全ドット数=", AllCnt, "割合=", per)
if per<sepPer:
#sepPer未満なら境界線かもしれない
#境界線幅取得
wd = self.getSepWidth(im, yy, False)
if wd[1]:
return (True, yy, wd[0])
#明るい色だらけだった
return (False, -1, 0)
def getSepWidth(self, im, st, fHorizontal):
"""境界線幅取得
return値 (幅,境界線と見なすかどうか)
"""
size = im.size #画像サイズを得る
gx = size[0]
gy = size[1]
wd = 1 #最初の1ラインはすでに判定済みなので
if fHorizontal: #横分割
ed = gy
else: #縦分割
ed = gx
for i in range(st+1, st+sepWidth):
AllCnt = 0 #全ドット数
LCnt = 0 #明るい色の数
for j in range(0, ed):
AllCnt += 1
if fHorizontal: #横分割
xy = (i, j)
else: #縦分割
xy = (j, i)
rgb = im.getpixel(xy)
hsv = self.rgb2hsv(rgb)
if hsv[2] > HSVLight: #明るい色があった
LCnt+=1
#for y
#明るい色の割合が一定以上なら境界線ではない
per = float(LCnt)/float(AllCnt)
if per < sepPer:
#sepPer未満なら境界線とみなす
wd += 1
#for xx
if fDebug or fDebug2:
print("境界線幅=", wd)
f = (wd>=sepWidth//4)
if f:
#境界線幅が規定以上なら境界線と見なす
if fDebug or fDebug2:
print("境界線有り")
return (wd, f)
#end of getSepWidth
def rgb2hsv(self, rgb):
"RGB→HSV変換"
r = float(rgb[0]) / 255.0 #0.0~1.0に正規化
g = float(rgb[1]) / 255.0
b = float(rgb[2]) / 255.0
max = r if r > g else g
max = max if max > b else b
min = r if r < g else g
min = min if min < b else b
h = max - min
if h > 0.0:
if max == r:
h = (g - b) / h
if h < 0.0:
h += 6.0
elif max == g:
h = 2.0 + (b - r) / h
else:
h = 4.0 + (r - g) / h
h /= 6.0
s = (max - min)
if max != 0.0:
s /= max
v = max
return (h,s,v)
#end of rgb2hsv
#----------------------------------------------------------------------------
def main(self):
"メイン"
p = Path(sys.argv[1]) # pは文字列型ではない
if p.is_dir():
#フォルダ名指定の時
print("フォルダ名指定")
#出力先フォルダ作成
save_dir = p / OutputFolder #フォルダ名
print("出力先フォルダ:",save_dir)
save_dir.mkdir(exist_ok=True) #フォルダ作成
num = 0
hnum = 0
for picpath in list(p.glob("*.jpg")):
if self.cutImage1(picpath, fMirror, fForce, save_dir):
hnum += 1
num += 1
print(num,"枚中",hnum,"枚分割完了")
else:
#フォルダ名ではないとき
ext = p.suffix #拡張子
if ext == "":
#拡張子が省略されているとき
#pathlibには拡張子結合がないようなので一旦文字列で結合して再変換
p = Path(str(p) + ".jpg")
print("ファイル名指定:",p)
if p.exists():
#出力先は元ファイルと同じフォルダの下
fullPath = p.resolve() #フルパス名化
dirname = fullPath.parent #ファイルに対しては存在フォルダになる
if fDebug or fDebug2:
print("dirname=",dirname)
save_dir = dirname / OutputFolder #フォルダ名
print("出力先フォルダ:",save_dir)
save_dir.mkdir(exist_ok=True) #フォルダ作成
self.cutImage1(p, fMirror, fForce, save_dir)
else:
print("ファイルまたはフォルダが見つかりません")
#end of main
#end of class Half
def get_option():
"引数解釈"
argparser = ArgumentParser()
argparser.add_argument('フォルダ名またはJpegファイル名', type=str , help="フォルダ名またはJpegファイル名")
argparser.add_argument('-m' ,'--mirror' , help='鏡像モード' , action="store_true")
argparser.add_argument('-r' ,'--reverse', help='鏡像モード' , action="store_true")
argparser.add_argument('-f' ,'--force' , help='強制分割モード' , action="store_true")
argparser.add_argument('-debug' ,'--debug' , help='デバッグ表示' , action="store_true")
return argparser.parse_args()
#コマンドライン実行時
if __name__ == "__main__":
argc = len(sys.argv)
if argc==1:
print(sys.argv[0], " フォルダ名またはJpegファイル名 (オプション)")
#以下のような指定が可能
#half? jpg / half? folder
#half? ~ -m -f
#拡張子(.jpg)は省略可能
sys.exit(1)
#引数解釈
args = get_option()
fMirror = args.mirror #鏡像モード
if args.reverse:
fMirror = args.reverse
fForce = args.force #境界線判定無視で強制半分分割
fDebug = args.debug
if fMirror:
print("鏡像モード")
if fForce:
print("強制分割モード")
if fDebug:
print("デバッグ表示モード")
app = Half()
app.main()
#end of program
・・・ここまで・・・
Pythonのベテランプログラマーの方には怒られるかもしれないが、そのコーディング規約に反している部分が多々あると思う。私はまだPythonのプログラムを作り始めて日が浅いし、もともとC/Objective-Cの人なのでどうしてもそれに従った書き方になってしまう。気に入らない人は勝手に書き換えて。ただし、書き換えたものは公開はしないで。
後2本サポートツールも作ったので、それらはこれに反響があったら公開。
今は亡き鉄道(30) ― 2020年09月21日 07時04分06秒
千里万博EXPO'70から。
会場内にあったロープウエイ。法律上は索道線なので鉄道。
ロープウエイは西口からお祭り広場横までにあったようだ。阪急万国博西口駅から来る人は乗ったかも。私が乗った事があるかどうかは不明。
同会場内のモノレール。モノレールは万博会場外周を走っていた。
万博会場って広かったと思ってたけど、今軽く図ってみたら4キロほどなので京都御苑と同じ位か。そう思うとそれほど広くないが、そこにあの時代あれだけの建物と人が集まったのだからすごい。
これも乗ったかどうか不明。今は名神高速道路挟んで向かい側に大阪モノレールが走っている。
整理している古い写真の中には万博の写真も数多くあるけど、私自身はまだ小さかったから殆ど覚えてない。残念なことよ。
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