大震災に思う2021年03月13日 08時02分12秒

東日本大震災から10年が経過した。
その発生時、私は京都の自分の家にいてPC作業をしていたが、京都でも横揺れがかなり長く感じられたのを覚えている。
その後、TVで写される津波の映像などは衝撃的であった。

思えば、1997年の阪神淡路大震災では当時大阪に住んでいた私も直撃を受けた。揺れる10秒ほど前に目が覚めてその直後に下から突き上げるような大きな揺れがあった後大きく横に揺れた。最初の揺れの直後に真横にあった食卓の下に潜り込んだが、揺れが収まった後に見ると、枕の上に10キロもあるスピーカーが倒れてきてて、枕元にあった目覚まし時計が押し潰されてた。そのまま寝てたら私もただでは済まなかっただろう。

当時、関西では大地震は起きないと妄信していた。地理学科の友人は「そんなことはない」と言ってたが、図らずもそれが証明されてしまった。
備えあれば患いなしという言葉はあるけど、備えていてもいざ遭遇すると恐ろしのが自然災害である。それでもせめて、妄信やおごりがないように心構えと準備を怠らないようにしていきたい。

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うちにあった写真の中で地震のものを探してみた。
これは最近田舎の蔵の中から発見された古い写真。添え書きにより関東大震災のものだとわかった。場所はわからないが、都心部ではなさそうだ。
関東大震災の被害を写した写真雑誌も何冊か発見された。今の建築基準なら当時のような惨状にはならないだろうが、当時よりはるかに密集した現代の東京で大地震があればどうなることか。図らずも新型コロナにより都心集中が緩和されている今。遠隔仕事できるようになってきている今を、地方分散=被害集中を避ける契機にすべきではないのだろうか。それは過疎化の進む地方の再考にもつながると思うのだけど。自民党、というより今の官僚どもには未来を見据えたそういう頭はなさそうだから、人の上げ足とったり悪口ばかり言ってるどこぞの野党連中には、そんな馬鹿なことしてないでそういうことを考え、もっと前向きの話をしろよと言ってやりたい。この期に及んで権力争いなんてしている場合じゃない。まあ、それが出来ないからこその万年3流野党なんだろうけど。

これは2007年の中越沖地震。私の田舎は直撃というか震源地に近くで大きな被害を出した。
田舎のある集落でも被害を受けた家屋が多く、もともと人が住んでなかった家はそのまま更地になった所も少なくない。家は多いけど実は過疎だったのが、見目にも過疎になってしまった。





この地震で崩れた峠の道は結局封鎖され、山にトンネルが掘られた。

2018年6月18日の北大阪地震。その時は電車に乗っていたのだが、揺れの後電車が止まってしばらく動かなかった。1時間は経ってないと思うが、その後線路の安全が確認できたということで最寄りの駅まで動いてそこで止まった。

後日大阪の実家に行ってみると、このありさま。

台所では食器が戸棚から飛び出てガラスの破片が飛び散ってた。
幸いにも家屋への影響はあまりなかったが、自身は忘れてころにやってくるというのを強く感じた。

京都市内では大きな地震は歴史的に見ても起こってなさそうだが、とはいえ、絶対にないとは言えない。新潟は地震多発地帯だ。60年で3回も大地震が起きてる。

のど元過ぎても暑さを忘れないようにしたい。
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