2020新潟・白馬(15)2021年02月01日 08時01分54秒

頼んだのは津軽地鶏の唐揚げ、だったかな?
でも、その前に、前回来たときに1品サービス券があったのでもらったのがこちら。

こちらが普通の突き出し。何だったかな、花の酢漬け。

で、こちらが食事本体。本体という言い方は変だけど。
肉も味が深くておいしいけど、ここのはとにかく野菜がいい。店で食べる野菜の中ではここのが一番。噛めば噛むほど味が出る。サラダのドレッシングもごまを擂ったものみたいでとてもおいしい。おいしさが的確に伝えられない。語彙がなくてごめん。

食べている途中にヤマトから電話がかかってきた。いろいろやりとりがあったんだけど、要約すると、
・本来は先に連絡をもらって、物の破損状況を見てから修理に出す
→こっちは自転車だけが交通手段であり、すぐ使えないとだめなので先に修理した。壊れている状態の写真は撮ってある。修理の領収書はもらってある。自転車屋の名前は忘れたので今は言えないが、領収書を見ればわかる。それは家に帰ってから。
・物を見たいのと書面をもっていくので都合の良い日を教えてほしい
→いつでもどうぞ。
という感じだった。まずは写真をメイルで送ると言うことで。
自転車まるごと買い直せと言ってるんじゃない、修理費、しかも3000円くらいを出せと行ってるんだから、さっさと出せという感じではあるが、喧嘩してもしょうがないのでここは慎重に。
なんか結構電話に時間がかかって、料理が冷めてしまった。そっちの方が腹立たしいよ。

ということで、時間がかかってしまったけど、ごちそうさま。帰りにお店の人とちょっと話をしてから帰る。前回(7月)来たときに柏崎市の抽選券もらったけど、それが当選してお米5キロもらったよ、とか。
今回も券もあるようだけど、前回の特産物から地元商店での商品券に変わっていた。まあ、コロナ対策の地元振興のための物だから、そうなるよなあ。今回は当たっても使えないから、出さないかも。

2020新潟・白馬(16)2021年02月02日 07時26分39秒

帰り道。
舞待夢から比較的近くの石地駅に寄る。
昨日鯨波駅に寄ったので、今回こちらにいる間に行けるだけの駅に行ってみようかと。

鯨波は信越本線の駅だけど、こちらは越後線の駅。だから余計に本数が少ない。
柏崎方面は9時の次は13時って4時間に1本!?昔はここも複線電化しようかという議論があったほど客が多かったはずなんだけどなぁ。終電も20時台か、駅前で呑んで帰るのにもつらい時間。だから家呑みするしかない。

線路。
敷地的には余裕で複線化できる。と言うか、この辺りはその準備されてたのかも。そんな感じ。

礼拝はうちの最寄り駅になる。3キロ以上離れてるけど。
小木ノ城には行ったことないなぁ。いずれ行ってみよう。自転車で越後線巡りというのも良いかも。

今日は列車には乗らないけど乗車駅証明書だけもらっておく。
今度は西山ふるさと公園に向かう。116号線、内陸の道で。

2020新潟・白馬(17)2021年02月04日 07時16分18秒

道の脇には彼岸花が咲いている。
でもちょっと終わりかけで、花が白くなってる。昨日の処はきれいに真っ赤だったけど、やはり日当たりの良い場所は劣化も早いか。そういえば、京都あたりでは彼岸花を見るとなぜか切ってしまう連中がいるけど、ここではそういうの見たことがない。もともと彼岸花は根に毒があるのでモグラよけとかに植えられたと聞くけど、農業をやっている場所ではそういう恩恵を考えて無意味に切ったりはしないと言うことか。まあ、実際の処、モグラは肉食なので食事として根っこをかみ切ったりはしないそうだけど、穴を掘るときに切るのか、その穴を通って虫でも来るのかな?

お米の袈裟懸けによる天日干し。
お米をおいしく食べるにはこうするのが一番良いらしい。昔はうちを始めどこでもこうしてたんだけど、
やはり手間がかかるからやらなくなって来てる。久しぶりに見たかな。写真は60年前くらい。奥のほうに袈裟懸けしているのが写ってる。

そういえば、コスモスの季節でもある。所々植えられている。

西山ふるさと公園に到着。
野菜を買って帰る。もう顔を覚えられてしまった。

吉屋にも寄って例のロールケーキを買って帰る。お酒なしの方。
まだ14時半だけど日差しはちょっと傾いて感じる。やっぱり秋。

2020新潟・白馬(18)2021年02月05日 20時10分42秒

家に帰ってから何をしてたかは覚えてない。蔵探索とかしてたかな。写真がないとわからんなぁ。

夕方。17:42でもうこの薄暗さ。7月なら19時前でこれくらいだから、やっぱり日は短くなってきてる。

夕食には、西山ふるさと公園で買った枝豆。
おいしい。やっぱり地産地消の物は新鮮で味が良い。

夕食はこんな感じで。机の上はもうごちゃごちゃ。
あっ、自転車屋さんの名前は「マエカワ」さんだ。領収書がど真ん中にあった。

夕食終わって外に出たら満月だった。
月は明るいので、手持ちでもシャッタースピードは目一杯早くできるのでぶれない。もう少しアップに出来れば良いんだけど、ここまででもクレーターとか海とかがはっきり見える。

と言うことで今日も終わり。

2020新潟・白馬(19)2021年02月07日 08時04分49秒

10/3。
雨ではないのだが、なぜか1日家にいた模様。
ということで蔵の捜査。

前からずっと気になっているこの金庫。回し錠と鍵の2つからなっているようだ。しかしそのどちらもわからない。
周り鍵の部分が硬くて、とりあえず呉553を注入してみたが、それでどうにかなるものでもない。TVに頼んで開けてもらうかねぇ。この金庫の話をすると会う人みんなにそう言われる。

大きな岡持ちが2つあった。ところがその上に大きくて重たいものが置かれていたので開けることができなかった。人手を借りないと無理だと思っていたが、かなり頑張ってそれをのけて開けてみた。
まず出てきたのは新聞。
日付は昭和2年とか3年とかその辺りのものだ。
面白そうなのでじっくり読みたいところだが、読んでたら片付かないので後回し。

もう1つの箱を開けてみると大福帳とかそのほか紙類が大量に出てきた。水色の紙があったので拾い上げてみるとこれだった。
「地券」と書いてある。要するにどこそこの土地は誰のもの、という権利書だ。うちの江戸最後のご先祖の名前がたくさんあった。このあたりの土地をかなり持っていたようだ。他の人のもあったけど、なぜ?きれいに残っててももはや今となっては通用しないだろうけど。

大福帳みたいなものはあったけど、それは多すぎて省略するとしてそれ以外のものをいくつか。
これはうちの菩提寺でもある「華蔵院」さんが明治37年に屋根を改修をした時の普請帳らしい。紙がくっついててなかなか中が見られなかったのだけど、いついつどれだけの人足が来たとか、材料がいくらだとかというのが書いてあった。後ろには世話役の名前とか。お寺は江戸(以前)からあるらしいが、昭和初期にあった集落の大火で資料などは焼けてないのだそうな。だからこういうのは貴重かも。ところで、お寺の名前は今は「華蔵院」と書くが、ここには「花蔵院」とある。聞いてみると、今でも登録名は「花蔵院」だそうな。いったいいつから「華蔵院」になったのだろう。聞くの忘れた。

こちらはうちのご先祖の年忌供養の時の帳簿。明治27年。
前にも書いたけど、家系図を書いたので、戒名でもうちのご先祖なのか・いつの時代の人かわかるようになっていた。だから見逃さなかった。

こちらは別のご先祖の亡くなった時の香典帳。
明治11年寅9月19日だろうか。

こちらは何のものだったかわからないが、後ろの名前にご先祖の名前があったもの。
今は「柏崎市椎谷」だけど、昔は「刈羽郡椎谷町」だった。柏崎市も昔は刈羽郡柏崎町で、そのうち独立して市となり、椎谷はそこに吸収された。刈羽郡は今でも刈羽村として存続している。椎谷は位置的には刈羽郡に入ったほうがいいような気がするが、まあいろいろなことがあったのだろう。それはそうと「市場総代」。うちのご先祖さんがそれをやっていたということだ。大きな商家だったということはわかってきたが、地域では「長」を務めるような位置にあったようだ。今は見る影もない。

2020新潟・白馬(20)2021年02月08日 07時11分45秒

さて、先に書いた岡持ちの上に置いてあった大きくて重いもの。こう置いてあった。
下に見える黒い箱が岡持ち。左が新聞、右が大福帳の入っていたもの。

その置かれていたものは、こんな物に入れられていた。
表面に何やら文字が書かれているが、それは後日。

しかして中に入っていたものは何かというと、これ。
漢文の書かれた屏風1対2枚だった。

内容は全く読めない。親戚に聞いたところ、昔、何かの折に立てられてたのを見たことがあるそうな。祝い時に出されたようなので、おめでたい文面なのかもしれない。ところどころ小さな虫食い穴はあるが、全体的に状態かなりいい。

それにしてもいったい誰の作品だろうか。落款はあるが読めない。
ネットでも調べてみたが、一致するものは見つけられなかった。古物商がこれを持っていかなかったということは有名ではないのかも。

落款といえば、家にはこういうのもあった。
上のはともかく下のは「鉄斎」、ということは「富岡鉄斎」ではなかろうか。私でも知ってる有名な文人画家・儒学者。うちの近所にも富岡鉄斎亭跡がある。本物ならすごいことだけど、どうだろうねぇ。もっとも、これがある物は本当にぼろぼろでもう価値もくそもないんだけどね。

2020新潟・白馬(21)2021年02月09日 08時05分43秒

あと見つけたのは古いはがき。こんなのとか、

こんなの。
逓信省発行。2枚目のものは実は2種類あるそうで、この写真のは一番右の市庁府県名が2列目の郡区町村字丁目番地に対し少し上に上がっているが、同じ高さのもあるらしく、それのほうが高い。

2階に上がると何らがごそごそと音がする。見てみるとなんとへびがいた。
頭の形から見て毒蛇ではなさそう。蔵にいる「かもしれない」ネズミでも狙っているのであろうか。なら、益獣だ。しばらくすると下のほうに降りて行った。シャイ。

夕方になって、そういえば今日は全然自転車に乗ってないと思って、もう暗いけど少し走りに行くことにした。
雪割草の里温泉の前の海岸から。ここにはテトラポットがほとんどないので夕日がきれいに見える。

さらに走って石地海釣り公園のところ。
ところが海釣り公園はもう廃園になっていた。沖まで出ていた桟橋もところどころ崩れたのかつながってない。今撤去作業中だそうな。

残る桟橋と夕日の1枚。

そしてさらにちょっと走ってUターン。夕日がきれい。
夕日から前に伸びるレイライン?がきれいに見える夕日は実はなかなか見られない。

これが私のTB1e号。
黒に見えるけど黒じゃなくて濃いグレー。

帰り道、あるところに赤丸ポストがあった。
全国に残るこれを写していきたいとひそかに思っている私としては、これは見逃せない。実はこの撮影がこのポストの最後の姿になったと知るのは後日のことである。

2020新潟・白馬(22)2021年02月10日 08時13分24秒

10/4。
朝一からお墓掃除に行く。ようやく。
まあ7月に掃除してるからそんなに汚れてはいなかったけどね。大きなでんでんがいた。このあたりにはこのサイズのでんでんがたくさんいる。

家に帰ってまた蔵の捜索。今日は2階から。と思って上がるとまた昨日の蛇がいた。
やっぱり住み着いているのね。この翌日以降は出てこなかったけど。ネズミ捕ってね。

今回は奥の奥まで徹底的に捜索する。大きなつずらがあった。そこで最初に目についたのはこの箱。サロンパス。
久光兄弟株式会社とあるが、久光の沿革をみると、この社名になったのは昭和26年だそうな。この箱もその辺りのものだろう。価値ある?何箱かあったのだけど。久光といえば佐賀、佐賀が舞台の名作「ゾンビランドサガ」の第2期は…4月からか。第1期は不覚にも録画中止してしまったので、今度は間違いなく。
そこに何が入っていたかは失念。

ここには多くの小箱があった。開けてみると何やら小物が入っている。なんだろう、これは小さなテーブル的なもの?

これは橘か。

これは重箱?
どうもこれらはひな壇の小物のようだ。もっとあるだろうか。

2020新潟・白馬(23)2021年02月11日 08時15分59秒

ほかの箱にもそれらしきものがあった。鏡台。

棚とバナナとかご?

これは橘と対になる桜だな。
まだプラスチック造形が今ほど精巧にできる時代ではなかったのだろう。多くは金属・木材などを中心に作られている。出来はかなりいい。

以前、昔は家に大きなひな壇があったと聞いていた。ひょっとしなくてもこれらはそれの付属品ではなかろうか。この出来の良さなら、ひな壇も相当なものだと思われる。そうと思って、岡持ちの中及び周辺を徹底的に調べてみたが残念ながらひな壇は見つからなかった。人形は1体だけ見つかったけど、たぶんひな壇のものではなかろう。
やはりひな壇は古物商に奪われたようだ。許すまじ「古物商」という名の泥棒。

2020新潟・白馬(24)2021年02月13日 07時26分08秒

これはひな壇で使われていたものだろうか。
白酒を入れる徳利?「三葉の半分」(C)君の名は。が入っているあれだ。

これは千成瓢箪とかがり火。ひな壇にこんなのあったっけ?

と思って調べていると、何に使われていたか分かった。これだ。
兜、そうこどもの日の飾りだ。これもプラスチックではない。ちゃんとした作りだ。

こいのぼりも出てきた。
緋鯉も出てきたけど、かなり大きいし、痛みも進んでいたので伸ばして見ることができなかった。昔はこれを庭に飾ったんだろうなぁ。その写真は見つけられなかったけど。ひな壇のは1枚だけあったけど今探そうとしたら見つけられなかった。あまりに枚数が多くて。

(C)おたくら編集局