2020新潟・白馬(29)2021年02月22日 07時55分08秒

中から出てきたのは金銀財宝…などは全くなく、ほぼ書面だけだった。4段の引き出しにぎっしり。
そのほとんどは貸付証。誰それにいくら貸した、担保は何というのが書かれている。うちの明治のご先祖は北前船で北海道岩内村や泊村とやり取りして益を上げていた大物商だとわかった。さらにそこで稼いだお金を貸し付けていたようだ。その証文だ。もちろんそんなものは今となっては全く価値がない。せいぜい、そこに貼られている収入印紙に価値があれば、という程度だ。おそらくは日本初の収入印紙もあった。

他に入っていた書面は、他人には全く価値がないと思われるが、うちのご先祖の動向を知ることや家系図を書くには極めて重要な書面群であった。

これは「分家届」。
現在の法制度には分家という制度はないと思われるが、当時はごく当たり前に行われたようだ。戸籍謄本上に書かれていた分家が、届け出証上も確認できた。この書面が残っているということは正副書いて1通を役所に、1通を自分で保管したのだろうか。

こっちは「離婚届」。
今は用意された用紙が存在するが、昔はこのように適当に理由を書いたのだ。理由は「家風に合わない」と書いてある。ほかの離婚状もあって、そこには「夫が不義を働いた」と書いてあった。浮気したということかもしれない。読んでると、面白いじゃないけど、まあいろいろわかる。

これは「年期證書」。
これも現在には存在しないが、いわゆる年季奉公に出すときに、その人の身元保証人になるというものだ。これは息子を出す時のものだったが、そんな場合でも親が保証人になってちゃんと出しているのだ。

これは土地のやり取りの証書だ。
それだけなら他にもたくさんあるのだが、これが目を引いたのはそこにある人物の名前。一番左の。灰野さんじゃないよ。そこにあった名前はうちのご先祖で江戸の最後から明治の初めの人。うちはお店をしていたた関係で屋号というものがあるのだが、その屋号「松平」(まつへい)の由来になったのがこの人なのだ。
最初この名前は過去帳で見たのだが、「まつだいら」って、江戸幕府の家老「松平家」とどんな関係があるのかと思ってたら全然違ってた。御先祖で俗名がわかっている人はこの人が最古。残念ながら写真はなかったけどね。

というような書面しか入ってなかった。本当にほぼ書面だけ。あとは空の財布とか。残念。

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