岩内古絵葉書(3)2020年09月29日 06時17分33秒

八幡通り。
今も存在して、町役場とかが存在する通りだと思う。これがどのあたりから撮影したものかはわからないけど、左の大きな建物は役場かもしれない。
電柱があるということは、すでに電気が来ているということ。(当時としては)進んだ街だったということだ。当時のことだから、比較的近所に水力発電所があるはず。何処だろう。


御鉾内町。
現在は存在しないのかもしれない。探しても見つけられなかった。こちらは商人の街だろうか。
ここにも仁丹の看板が見える。当時からえらく広まっていたんだなぁ。仁丹の発売は明治38年らしいので、この写真もそれ以降のものだとわかる。一方、其の後ろの電柱にはよく見ると「ヘブリン丸」という文字が見える。これは今の参天製薬が作っていた風邪薬だそうな。明治23年発売らしいので、仁丹の年代から推測した年代が正しいことを示している。
こちらにはさっきのところより大きな電柱が見える。商売するところのほうがより多くの電力を使うということだろうか。しかし電車ではなく馬車鉄道が走っている。Wikipediaに其の記述があった。これの開業が明治38年、廃業が明治45年なので。この写真がその間のものであることが確定できる。港と結んでいたようなので、港で陸揚げされた物資がここで商いされていたのかもしれない。もしくはここで集積された北海道物産が港から輸出されたか。人も多く往時の繁盛が忍ばれる。
ところで、写っているのは子供が非常に多い。なんでだろう、写したのが通学時間だったからだろうか。いずれにせよ、若い世代が多かった証拠である。

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