超珍しい写真見せてやる!(その22)2016年01月09日 07時23分58秒

しんどくて更新しづらいのでこのネタで。

大阪駅での「雷鳥」と「しなの」が並んだ図。

現在雷鳥号はもう存在しないし(すべてサンダーバードに変わった)、大阪発の「しなの」も次のダイヤ改正でなくなってしまう。それ以前に、振り子式である381系のしなのはもうだいぶ前になくなっているはず。ということで、今は昔の写真になってしまった。

大阪発しなのも1回乗ったことがあったような。いや、これがそのときの写真かも。帰りの大阪着もあるけどね。新幹線全盛の時代に新幹線とかぶる区間(名古屋~新大阪)をゆっくり走る特急というのも良いもんだったけどね。

超珍しい写真見せてやる!(その21)2015年09月29日 07時07分17秒

なんだか気ぜわしくてネタが作れないのでこちらで。そもそもネタが切れかけているというのもあるけど。

トマムサホロエクスプレス。海峡号に乗ったのと同じ平成2年=1989年。JR北海道のジョイフルトレインというやつ。
この頃は全盛期で5両編成で食堂車もつないでいたそうな。この写真では解らないけど。

隣に停車しているのは特急北斗。183系気動車。
今も走っているようだけど、車両は281/283系というのが中心らしく、さらに塗装が青色に変わっているので、この色はもう見られない。

トマムサホロエクスプレスに似た形の列車を見たことがあるなあと思って記憶をたどって行くとこれがあった。これはJR西日本のジョイフルトレイン「ゴールデンエクスプレス アストル」。2006年に富山駅で撮影。2007年まで走っていたようなので、最後の頃。
似ているようだけど、ベースとなった系統は違う。

このときはすごい雷雨で、稲光がたくさん走ってた。さらに乗り継ぎの特急はその豪雨のせいで遅れてくるし、クーラーは故障しているし、車内は水浸しでえらい状況だった。そんなことを思い出した。写真には思い出がつながっている。

でも、今は昔の物語。合掌。

超珍しい写真見せてやる!(その20)2015年09月07日 14時30分35秒

久しぶりに。

青森〜函館を結んでいた快速列車「海峡」号。
青函トンネルが開通した1988年から2002年まで走っていたらしい。私が乗ったのは平成2年だから1989年ということで、開通直後に近い時期。東北1周旅行をしてた時、青函トンネルも開通したことだし、ぜひとも通りたいと思って1日使って行った。この列車は客車列車。
写真はいきなりボケボケ。フイルムカメラじゃけん、しかたなか。

トンネルの最深部通過時。
1時間近くもトンネルの中にいて、景色という景色はないので、ずっとこれを見てたような。

50系客車。青函トンネル用の改造車だったそうで。座席は0系新幹線からのお下がりだとか。
そうと知ってたら車内も撮影してたのに。

その時の切符。
記念のためか硬券で発行されていた。

乗車証明付きオレンジカードも車内で売ってた。もちろん今となってはもう手に入らない。
北海道新幹線は来年だったっけ。乗れるといいのだけどね。

超珍しい写真見せてやる!(その19)2015年08月20日 08時21分06秒

週刊ニュースの所、歴史で習ったことが色々書いてあって興味深い。いいか悪いかは別にして、動きのない今の日本や世界からは考えられないほど動きが感じられる。「リットン報告書」「満州国」「国際連盟」「蒋介石」「ドイツの軍縮会議不参加」「12国立公園決定」など。

全面広告のページ。「浅田飴」って古くからあるのね。

そして最後は裏表紙。ラジオの広告がある。
ここには注目すべき点がいくつかある。いわゆるコピーを書いているのが与謝野晶子。こんな仕事もしてたのね。
そして作っている会社も今となってはそうそうたるところだ。キャビネットの日本楽器はヤマハ、バルブ(ってなんだろう?バリコンのこと?)の東京電気とは東芝の前進、製造元の大阪変圧器は重電8社の1角、ダイヘン。当時はこんなものを作ってたのね。設計者の名前まで書いてある。設計者冥利に尽きるねぇ。

ということで、単に古いだけでなく、教科書で習った歴史の一片が、その時代背景とともに感じられる1冊であった。


超珍しい写真見せてやる!(その18)2015年08月19日 07時58分19秒

映画の広告など。その横に「テレヴィジョン時代」というのがある。
日本でテレビの研究がNHKで開始されたのが昭和6年。当時はまだラジオですら各家庭にあるという時代ではないので、「テレヴィジョン」というのは夢の機械であったわけだ。それがなんであるかもわからなかった人も多かったかもしれない。なんかテレビに夢を見てるなぁ。今となってはもう斜陽の文化な気もするけど。

連載小説。これも時代を感じる。

さてこのページ、見るべきは記事(小説?)じゃなくて下の広告。
家庭用日焼け機のことだと思うんだけど、作っているのがあの「島津製作所」。昔はこんなもんも作ってたのね。定価75円って、当時としてはかなり高いんじゃなかろうか。あっ、そういえば、ここに書かれている横書きは左から右になってる。そうなったのはアメリカの指導によって戦後のことだと思っていたけど、この時代からもあったのね。

超珍しい写真見せてやる!(その17)2015年08月18日 07時38分00秒

週刊朝日続き。
写真のページ。六大学野球の写真。後にプロ野球に入るような人もいたのだろうか・・・と思ったら、日本プロ野球成立が1936年=昭和11年なのでその4年も前の話。

大阪の町中の写真。
今の風景と見比べると面白いと思う。道頓堀(右下)はどのあたりだろう。空襲でなくなった建物もあるんだろうなぁ。戦争したらいかん。

大阪駅前(左上)はぜんぜん違う。心斎橋(右下)は今は屋根があるのでだいぶ感じが違う。戎橋(左下)は面影があるようなないような。グリコの看板はないけど。
衣装などにも時代を感じるねぇ。

美術のページ。「堂本印象」とか私でも知っている名前が見える。
当時は41歳頃のはずなので、中堅どころか。

超珍しい写真見せてやる!(その16)2015年08月16日 06時52分40秒

今度は正真正銘に珍しいもの。
週刊朝日だけど、なんと昭和7年10月に発行されたもの。田舎にあった荷物の中から発掘した。
表紙はカラーだけど、これが写真なのか写真絵なのかわからない。写真だとしても相当修正はされていると思うけど。目がちょっと行っちゃってる気がするのは私だけ?(^_^;)文字が右から左へ書かれているのとか、定価12銭というのが当時らしい。

記事を読むとさらに当時の世相が分かる。今となっては歴史上の出来事でしかない5・15事件が、当時は発生した直後のこととして論説されている(5・15事件は昭和7年)。
赤線を引いた部分は要注目点。

広告も面白い。「誰にでもできる美味しい食用茸の栽培」とな。なんか怪しい(^_^;)。昔は週刊朝日でもこんなのが掲載されていたのか。
投稿者の住所に「樺太」とあるのが当時である。

超珍しい写真見せてやる!(その15)2015年08月10日 05時52分00秒

1976年、岐阜近くで撮影したと思われる路面電車。

最初名古屋だと思ったのだけど、調べると名古屋市電は1974年に廃止されているようなので違う。となると、その時の旅程から考えるに犬山か岐阜近くと思われる。お城に行った記憶があって、最初犬山城だと思っていたけど、山の上にあった気がするので、岐阜城の可能性が高い。しかし、この辺りには路面電車は現存しない。

さらに調査を進めると、名鉄岐阜市内線には公園前駅というのがあって、これが岐阜城のある金華山の最寄りだったのようだ。このあたりには急カーブが連続していたとあったので、写真のカーブが相当する気がする。このカーブ故に入線できる車両が限られており、「モ550系」車両のみであった・・・とWikipediaにはあった。

しかしてモ550型の写真を見るとそっくり。車両前面右上に型式番号が書いてあるようなのだが、残念ながらこの写真の解像度では判別できない。

ということで、おそらく「名鉄岐阜市内線、公園駅前近くで撮影したモ550系」で正解だと思うけど、もしこの写真だけで特定できた方は、ぜひご連絡を。

超珍しい写真見せてやる!(その14)2015年08月05日 06時36分52秒

蒸気機関車C11-64。
撮影したのは1977年頃、梅小路機関車館で。

蒸気を出しているので当時は動態保存されていたようだが、現在の動態保存リストに同機は入ってない。ということは、動いているこれの写真は貴重だということになる。

C11は現在でも同館にあるらしいけど、今年4月に行った時の写真には写ってなかった。整備中だったのだろうか・・・と思ってたけど、よく調べると、車両基地ではなく東海道線横の引込線上にあった。
蒸気機関車2両のうち後ろ側。ここにあるということは、一応まだ動くのかな?それとも牽引されていったのだろうか。

ここに駐められている車両はおそらく、来年できる予定の新しい鉄道博物館に収蔵されるのだろう。開館が楽しみ。そういえば、先日職安に行ったらどう博物館内に設置されるパノラマ模型の制作人員の募集をしていた。9月から3ヶ月限定。やってみたいなぁと思ったんだけど、3ヶ月限定なので躊躇してしまった。次回職安行った時まだ募集してたら受けてみるか。いい経験になる。

超珍しい写真見せてやる!(その13)2015年07月31日 06時45分00秒

まだ椅子に長く座っていると腰が痛いので、比較的簡単なネタで。

阪急6000系の試運転時の写真と思われる。梅田駅。なので時期は1976年のはず。
ネガが見つからず、ハーフのベタ焼きをスキャンしたので解像度は極めて低いがご容赦を。「ハーフ」とか「べた焼き」とか、今の人に解るかな?死語だろうなぁ。

阪急6000系、そして同時期に出た6300系は画期的だった。阪急といえばマルーン色と前面3窓のこのデザインだが、この2系統から窓の下にライトが入り、行き先や種別表示が電灯式から字幕式に変わった。6300系ではさらに天井が白く塗られ、その窓下のライトのところも銀色に線が入った。伝統を守るなかでの僅かな変更ではあるが大胆でカッコ良かった。そう思った人が多かったのか6300系は1976年のブルーリボン賞を受賞している。阪急の同賞受賞は後にも先にもこれだけである。その時記念乗車会があったのだけど、鉄道友の会の人向けだったので乗れなかった。当時阪急は「阪急沿線」という冊子を出していて長らく集めていたのだけど、今の冊子「TOKK」に比べはるかにマニア向けでとても読み応えがあった。これがあればこの6000系の情報ももっと詳しく書けたものを。就職した頃か捨ててしまった模様。極めて残念。
阪急は色、形など車両の意匠はもちろん、内装、クーラーのデザインまで統一されている形式美があった。最近はだいぶ崩れてきているけど、最新の新1000/1300系はちょっと回帰した感じ。

後ろ。

ところで、6000・6300系共に、初期の運転席後部にはこの「H」マークが入っていた。これもかっこよかった。
が、これは一般的には不評だったようで、その後花マークに変わった後、現在は窓穴が開けられていると思う。

6300系の「H」マーク付きの写真を探したんだけど、そもそも6300系自体の写真が少なく、更に側面まで写っているのはこの1枚だけだった。阪急京都線特急がまだ大宮~十三間ノンストップで、淡路駅で通過を撮影したもの。1976年。「H」マークが確認できる。
身近にありすぎると、かえって記録しないのね。

当時のもの・・・かもしれない切符。阪急は日本で初めて(北千里駅に)自動改札機を導入した会社だから、たぶんもう磁気券だと思うけど(スキャン時に裏面は取らなかったので分からない)、印刷はインク。阪急の普通乗車券には年号が入ってないので年代が特定できない。
そういえば、なんで「梅田」の「田」を「図」のように斜めに書くのかは未だに不明。知っている人がいたら教えてほしい。
→2015/09/15追記
ようやく判明。まだ自動改札がない頃、他の「〜田」駅の切符と区別するためにこのようなくずし字を使うようになったらしい。阪急自体が答えていた。おそらくは先に開業していた阪神梅田駅(1906年)の切符との区別ではなかったのだろうか。阪急梅田の開業は1910年。大阪市営地下鉄はぐっと下って1933年。でもこの字をみるたびに「凶」に似ている気がして、あんまりいい字面じゃないなあと思うのだけど。

ちなみに、当時の子供券には赤字で「小」のはんこが押されていた。
今にして思えば。豪華な?印刷のことよ。

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