時代祭2015(3)2015年10月25日 07時52分17秒

江戸時代婦人列。
和宮から始まって、吉野太夫、出雲阿国などがいた。でもほとんどきれいに撮影できてなかった。残念。
婦人列は、一部時代であった。

牛車。豊臣秀吉が上洛したときのだったっけ。
これが最上級のしつらえなのだそうで。

その後は各時代、各武将。織田信長。
戦国時代の武将。
このころの武将は甲が奇抜なのが多い。頭重そう。

室町時代の武将はまだ鉄砲がないため、甲冑も金属製ではなく木製。その方がきれい。

足利将軍。室町幕府、といわれるけど、実際には室町通りに花の御殿というのがあったのでそう言われるだけであって、幕府としての機能がそこにあったかは知らない。うちから近い場所。

これだけの人がいるからか、カメラの音が気になるからか、落ち着かない馬も何頭かいた。
あっち向いてこっち向いてうろうろ。いななきも。どうどう。

五月人形と言えばこのイメージ、という武将姿。
五月人形の発祥は室町時代なのだろうか。戦国時代の甲だったら飾りにくそう。

弓を携えた武将。
武具にも美を求めるのが日本らしい。西洋の甲冑には金属的細工はあっても色合い的美しさはないからね。

時代祭2015(4)2015年10月26日 11時22分18秒

室町時代の祭り?ここでは列の説明をしてくれるアナウンスがあるのだけど、それを録音でもしてればよかったんだけどなぁ。
今年は英語での説明も時々入ったのだけど、「あぁ、英語ではそう言うのか」というのが解って、なかなかおもしろい。それほど難しい文章じゃないし、解らない単語も基本的には行列を見ていれば類推できるし。

この列では、時々止まって演舞を行っていた。そのような列は所々にある。ただ単に衣装を着て歩くだけではない。
なので、衣装を着て歩くだけのところにはアルバイトでも当てられるのだけど、練習が必要なところは、それを継承している地域が存在する。平安講社第何講何とか地区というアナウンスがある。祇園祭ほど大変ではなかろうが、それはそれでもはや伝統のある祭りになっているからしきたりもあるのかも。京都の三大祭りは、葵祭・祇園祭がやたら古いから、時代祭の100年ちょっとではまだ新しく感じてしまうのだ。

幟を持った鎧武者。
片手で持ってるから、かなり大変だと思う。この日は風がなかったから良いものの。

楠木正成。歴史上の評価はともかく、神社=神道=皇族ゆかりの祭りとしては外してはいけないと言うことだろうか。

婦人列。桂女だったかな?
こちらは静御前だったような。

狩衣姿。腰に手を当てるのは、弓道で行われる所作だよね。



時代祭2015(5)2015年10月27日 08時06分26秒

藤原時代。摂政藤原氏が権勢を誇った時代。時代祭の中では平安時代とは言わない。
この時代は公家の時代なので、そういう衣装。

巴御前。木曽義仲の側室。正室じゃなかったのね。

清少納言と紫式部。枕草子と源氏物語の作者。
源氏物語は英訳もされて世界的に有名な本らしいが、日本人で読んだことがある人はどれくらいいるのだろうか。長いので学校で読むとかは無理だろうけど、特 に京都に来るなら、一度は読んだ方が良いかと。地名や行事がいろいろ出てくるので。葵祭とか長谷寺(これは奈良だけど)などなど。現代訳本はいろいろある けど、簡単に読むなら大和和紀さんの漫画「あさきゆめみし」が良いかと。私は与謝野晶子版も読んだけど。

常磐御前、和気広虫(御苑隣にある護王神社さんの祭神)、百済王明信などが続く。この方は台座にのっての行列だけど、歴史的にはあまり有名ではないと思う。時代祭の行列に出てくる人は、必ずしも歴史的に有名だとは限らない。京都の歴史上重要だとか、そういう面もある。

この後に武者列がまた続いたのだけど、どういう由来だったかは失念。

時代行列最後は殿上するときの衣装。位によって着る色が決まっていたのだそうで。紫が最上位。以下続く。




ということで、時代行列はここまで。この後、時代祭の本来の意味、御祭神の行列が続く。。

時代祭2015(6)2015年10月27日 08時40分38秒

時代列は時々止まることがある。御苑から出て行くと信号を待つこともあるかららしい。
行列の進む道は当然車は通行止めになるが、交わる道はそうはいかない。なので、その通行を待つことがあるからである。結構長い間止まっていたような気がしたが、写真で確認すると10分も止まってない。
でも、こういうのがあるので結局2時間近くになる。
止まりがなくなれば30分ほど短くなるかも

続くは神饌講社。「神饌」;すなわち神様に捧げる食事を作る者。京都府の料理組合がつとめていたと思う。

向こう側には朝に平安神宮から来た鳳輦が見えてきた。

でもその前に「前列」。榊を持った神職とそれを警備する人たち。
時代祭が始まった頃からの警備役だそう。もちろん今は刀とかは飾りだろうけど。

雅楽の演奏。

いよいよ御鳳輦の移動。桓武天皇と孝明天皇をお祭りしているので鳳輦も2体ある。



写真が多いので、あと1回。

時代祭2015(7)2015年10月28日 08時32分49秒

平安講社総長。



大原女、だと思う。

造花じゃなくて生花のように見える。結構重いだろうなぁ。

で、大トリ。
あっ、引き手は外人さんのような。良い思い出になるだろう。

ということで、約2時間の時代行列であった。
2時間もほぼ直立したままだったので、この後腰が痛くなってしまった。

御苑を出た行列は烏丸通りを御池まで下り、御池通を市役所の前から河原町を下り、三条通を西に向かい、平安神宮前からの参道である神宮通りを上って平安神宮に入る。結構長い距離。次回は別の場所で見てみようかな。まあ、来年も平日見られるかどうかは解らないけど。

時代祭についてはここに詳しいので、どうぞ。

2015/10/30追記:
そういえば、なぜ平安時代という括りがないのかだけど、それは「平安装束を見たいなら葵祭でね」と言うことだろう。
平安装束を見に、また起こしやす。

輝く月2015年10月29日 09時06分57秒

昨日は月がとてもきれいだった。
町内の回覧を回すときに外に出て気がついた。思わず撮影。
右上が僅かにかけているので満月じゃないんだろうけど、十分丸い。
コンパクトデジカメでもここまで写る(20倍)。実は月はかなり明るいので、ISO800なら1/1600でもまだ遅いくらい。望遠鏡でもムーングラスを付けないとまともに見られないほど。

で、今朝御苑を散歩していると、月はまだ残っていた。
人間の目にはもっと大きく見えるのだけど、写真に撮るとこの大きさになる。これが縮尺上正しい大きさ。人間の脳内では月は2倍にも3倍にも、場合によってはそれ以上に大きく変換されるのだ。これは、人間にとって以下に大切な存在であったかを示す証拠といえる。農業とか、気候に関係する仕事では太陰暦の方が合っているとも聞く。小豆相場に関わるなら、太陰暦の把握は必須・・・かも(^_^;)

文様をよく見ると、夜とは上下逆。
昇るときと沈む時なのでそれは当たり前なんだけど、はっきり見たのはこれが初めて。

月に釣られてか、今朝は猫も多かった。人も猫も月の恩恵を受ける同じ地球上の生命の兄弟。
合掌。

貴船河床(11)2015年10月30日 07時41分37秒

時代祭を挟んだので間が開いたけど、貴船続き。

早めに寝たが、あまりぐっすり寝られなかった。枕が変わると寝られないたちなのと、涼しいんだか熱いんだかわからない室温だったこともある。

翌朝。快晴。涼しい。空には三日月が見える。遠いけど。


朝5時台に起き出して、6時から奥の宮へ。4月に鞍馬から歩いた時は距離があるように思ったが、今回の宿は貴船でも最上流に近いので、奥の宮までは近かった。

朝の涼しさは、こういうところにいっそうの神聖さを醸し出す。


涼しい空気が気持ち良い。結構朝早いのにもう人が来てる。

戻って朝食を待つ。

貴船河床(12)2015年10月31日 08時57分17秒

さて宿に戻って、窓から下を見ると河床に食卓が。
そう、一般の河床は昼と夜だけだが、宿泊者には朝から河床で食事できる特権があるのだ。

朝は他の客は居ないから完全貸切状態。他の床はまだ用意されていない。

ちょっと寒いけどね。

おぉ、朝から豪華だ。日頃質素すぎる食事なので(この頃の週の食事の内8割は白米だけ)、心にしみる、胃にしみる。
先に言っておくと、白米だけの食事なんてしちゃだめ。食費に回す(というか食費だけでなく他も含めて)お金がないけど、お米だけは前払いで毎月配達、しかも発注量を間違えて一人では食べきれないほどたくさんあったのでそういう食事をしていたのだけど、後日の健康診断で中性脂肪値が健康上限値の2倍もかけ離れていてレッドカードを食らった。現在は食事改善中。直ると良いのだけど。

(C)おたくら編集局