今は亡き鉄道(20)2020年08月30日 06時23分37秒

最後は阪急電車の古い車両を。
写真はモノクロが多く、フィルムをスキャンしただけで輝度など調整してないので暗いがご容赦を。

1600系。北千里駅にて。1975年位。
千里線は阪急の中でも古い車両が残っていた線なのでこういうのが見られた。1983年に嵐山線を最後に廃車されたそうな。
走行区間が看板で掲げられているが、当時から梅田は「大阪梅田」と書かれている。正式駅名として変更になったのはごく最近だが、昔からそう呼ばれていたので違和感はなかった。

3300系。上と同時期。大阪市営地下鉄堺筋線直通車両。
実はこの系列自体は改修されて現在も存在する。が、この写真のは冷房化前のもの。Wikipediaにはこの3308編成の情報がない。幻の編成?
現在の3300系の写真は持ち合わせがなかったので、その神宝線版である3000系の現在の写真をば。

大阪市営地下鉄堺筋線60系
千里万博EXPO'70に合わせて18編成(90両)が一気に製造されたそうな。地下鉄堺筋線直通列車として千里線と高槻までの京都線で走っていた。冷房化されてないが、今と違って最高気温が30度を超えるほうがまれだった時代なので、ラッシュ時でもなければ扇風機だけで十分だったのである。後継の66系が登場した現在は全部廃車された。

2200系梅田駅にて。1976年か。京都線の6300系、神宝線の6000系と同じ1975年就航の、阪急の今につながる新型車両を模索する、ある種のテスト系列機。
幕による行き先・列車種別表示、前面下のランプ、運転席側面のHマーク、ワンハンドルマスコンなどが上記3系列で共通している。前面スカートもそうかな(6300系は特急なのでさらに天井白とひげがある)。2200系はチョッパ制御の試験車両でもあった。試験車両なので1編成しか存在しなかったのでなかなかに貴重な写真かも。
2200系はその後改番されて6000/7000系に編入されて系列としては消滅している。

6300系。6352はその3本目の編成。
6300系の細かいことは前に書いたので省略。この編成は短縮されまだ嵐山線で走っている。
前照灯がLED化されている。

当時の車内はこんな感じのクロスシートだった。
2:2のシート。扉横には補助席も見える。当時の特急にはつり革や車内広告がなかった。それを入れるというときには論議があった。全列車高槻停車するようになる時期かなぁ。

現在嵐山線に残るものはこのように2:1+扉近くはロングシートになって補助席はない。シートは9300形と同じものになっている。つり革や車内広告はある。

最後に、とっておきの写真を。わかるかな?
EXPO'70開催中だけ千里線に存在した「万国博西口」駅の看板。車窓に見えるのは万博のパビリオンの明かりと、西口への通路の街灯。たまたま写り込んでいる写真を見つけた。
この車両は当時千里線で走っていた100系だそうな。窓の形状でわかるらしい。万博対応の輸送強化のため古いけど大型だった100系も使ってたのだ。

ということで、再開したこのシリーズもまたもや終わり。今、新潟や実家で発掘した極めて大量の写真を整理中なので、ひょっとしたらまたあるかも。
(C)おたくら編集局